世界は“時間”が積み重なって・・・・
毎日の出社時刻。週末の友人との待ち合わせ。きっかりではなくても、起床や就寝、朝昼晩の食事の時刻は、人によってだいたい決まっていることでしょう。また、時間を気にせずに過ごせる休日であっても、部屋の時計をちらっと見て「そろそろ昼時だな」なんて考えてしまいます。現代の私たちの生活は、時間・時刻と切り離すことはできそうにありません。
もちろん、時間・時刻は物質ではありませんから、このブログのテーマである“原子”でできているわけではありません。しかし、“正確に”時間を測るのに、原子はなくてはならないのです。そこで第八回は、原子時計に選ばれた元素、原子番号55「セシウム(Cs)」について考えてみたいと思います。
“時計”って何だ?
この問いの答えは、「時間を測り、時刻を知るためのもの」といったところでしょうか。人類は昔から、時間・時刻を知りたくて、いろいろな時計を考案してきました。紀元前3500年頃のエジプトでは既に、背の高い石製のモニュメント(オベリスク)を建てて、その陰の動きで時を知ろうとしていました。これは、現在でも公園などで見られる「日時計」です。“毎日繰り返される太陽の運動”を利用したアイデア品ですが、雨の日や夜には残念ながら使えませんし、細かい時刻を知ることはできません。
いつでも使えて、正確な時計があったら便利なのに・・・・。この願いに応えたのが、水や砂の落下を利用した水時計や砂時計でした。さらに重りが落下する力で歯車を回す時計も登場しました。16世紀にはガリレオ・ガリレイが、振り子が一定の周期で振れることを発見して、この原理を応用した振り子時計も開発されました。
いろいろな仕組みの時計がありますが、共通しているのは、「時間を測るために、周期的な運動をしているものを利用している」という点です。1970年代に普及して、いまや主流になっているクオーツ (水晶)時計は、ある加工を施した水晶に交流電圧をかけると正確な周期で振動する 性質を利用して、時間を計測します。
こうして時計はますます正確になり、それに伴って私たちが生活の中で求められる時間の正確さも増しています。待ち合わせを考えると、さすがに秒単位ということはありませんが、分単位で守ることが求められるように感じます。現在、日常的に使われているクオーツ時計は、1年に数秒の誤差が生じる程度だといわれていますから、日々の生活には、これで十分そうです。
原子時計に採用されたセシウム原子とは?
ところが、人はもっと正確に時間を計測したくて、今回のテーマである「原子時計」をつくり出しました。原子時計に使われる原子としては、今回取り上げるセシウムのほかに水素やルビジウムなどがありますが、正式に1秒の長さを決める原子に選ばれているのが、セシウム133原子※です。
※39種類あるセシウムの同位体のうち、唯一天然に存在する安定同位体の質量数は133
セシウムのどこがどのように“時計”になるのか。その話に入る前に、セシウムがどのような原子なのかごく簡単に抑えておきましょう。単体は、黄金色をしたアルカリ金属です。アルカリ金属とは周期表の一番左にある1族の元素のうち、水素を除いた、リチウム(Li)、ナトリウム(Na)、カリウム(K)、ルビジウム(Rb)、セシウム(Cs)、フランシウム(Fr)の6種類のことで、いずれも軟らかい金属です。とても反応しやすいので、水に入れたりしたら大変。途端に大爆発を起こします。また、中でもセシウムの融点は28.4℃と低く、体温で融けてしまうほどです。
人の体温で融けるセシウムの様子はコチラ(動画時間:1分4秒)
そんなセシウム原子が、私たちがいつも気にしている時間の基本単位である“1秒”の長さを決めるのに使われているのです。
91 億9263万1770回!
そもそも1秒は、地球が1回自転するのにかかる時間を基準に決められていました。つまり、1日の24分の1が1時間、1時間の60分1が1分、そしてその60分の1が1秒です。
ところが、地球の自転速度は月の引力の影響などを受けて一定でないことがわかり、1956年からは、地球の公転をもとに1秒が定義されるようになりました。さらに1967年には、「セシウム133原子が基底状態で91億9263万1770回振動する時間」が1秒として再定義されたのです。
原子固有の振動を利用した原子時計
改めて、セシウムのどこがどのように“時計”になるのか、という疑問に戻りましょう。
すべての原子は、固有の共鳴周波数を持っています。つまり、原子は特定の周波数の光やマイクロ波だけを吸収したり放出したりする性質があります。
1秒の基準となっているセシウム133原子の共鳴周波数は9,192,631,770Hzです。この周波数にぴったり合ったマイクロ波を浴びたときにだけ、セシウム133原子のエネルギー状態がわずかながら高くなります(「励起」と呼びます)。逆に、セシウム133原子が励起したなら、そのマイクロ波の周波数は9,192,631,770Hzであると言えます。
つまり、周波数は時間の逆数ですから、原子に当てたマイクロ波の周波数から1秒の長さを決めることができます。これが原子時計の考え方になります。
図1:セシウム133原子では、原子核と内側の電子軌道にある電子によってつくられる磁石に対して、外側の電子軌道にある電子がつくる磁石の向きを安定から不安定に変えるのに9,192,631,770Hzのマイクロ波(電波の一種)が吸収される。つまり、1秒を定義するのに、磁石の向きを変えるのに必要な電波の周波数を使っているということである。『1秒の定義』(NICT ホームページ)を元に作成 |
1秒を決めるための振動に求められるのは、何より正確であることです。いつでも9,192,631,770Hzのマイクロ波 を吸収したり放出したりするとは、セシウム133原子は何と真面目なんだと感心してしまいます。いえいえ。すべての原子が固有の共鳴周波数を持っているということは、すべての原子が真面目、つまり原理的には時計がつくれるということです。ただ、原子に決まった光やマイクロ波を吸収したり放射したりさせるのは簡単ではありません。というのも原子が完全に孤立していて、原子に影響を及ぼす電場、磁場、重力の乱れがない状況をつくらなくてはならないからです。そのための技術が必要で、実際にはどんな原子も原子時計をつくれるということではないのです。
セシウム原子時計でも、熱運動や、他の原子との相互作用が原因で、原子が吸収するマイクロ波の周波数が変化してしまうため、原子時計の方式にもよりますが、100万年に1秒ほどの誤差が生じるとされます。とはいっても、冒頭で説明した水晶の振動を利用した一般的なクオーツ時計のずれが 11日~115日で1秒ということと比較すると、途方もなく高い精度です。
時間を正確に測る意味
日本の標準時は、兵庫県明石市を通る東経135度の子午線における地方平均太陽時で、日本全土でこの時刻が用いられています。しかし、日本の標準時をつくって供給しているのは、東京都小金井市にある情報通信研究機構(NICT)です。NICTでは、18台のセシウム原子時計と4台の水素メーザを使って日本標準時をつくっています。また、それを標準電波で日本全国に発信する業務も行っており、私たちはこれを受信して、電波時計を合わせることができます。
これほど正確な原子時計は、標準時をつくる以外に必要なさそうですが、実際には、時計メーカーが出荷する時計の時間合わせに使っていたり、GPS(全地球測位システム)衛星に積まれていたりします。飛行機や船が、目標物が見えない空や海で方向を誤らないで進むことができるのは、GPS受信機を載せているからです。人工衛星が発する電波を受信機で捉えるまでにかかった時間を原子時計で正確に計測しているから、位置を正確に把握できるのです。
また、時間を正確に測定することは、今後、宇宙などの物理学の発展に大きく貢献することが期待されているそうです。このような期待もあって、さらに精度の高い時計をつくろうと、既に「光格子時計」といわれる時計の研究などが進められています。
原子は、人間のために時間を測っていて、時間に追われているみたいね~と思ってしまいました。
【参考資料】
『時計の科学 人と時間の5000年の歴史』ブルーバックス、2017
『現代物理学の謎は原子時計で解決される』日刊工業新聞社、2016
『原子時計最前線』(セイコーミュージアム、2018年6月):https://museum.seiko.co.jp/knowledge/relation/relation_12/
『第121回「原子時計と磁石」の巻』(テクマグ、TDK、2018年6月):https://www.tdk.co.jp/techmag/ninja/daa01133.htm
『放射性セシウムに関する一般の方むけのQ&Aによる解説』(日本土壌肥料学会、2018年6月):http://jssspn.jp/info/secretariat/4137.html
『NICT NEWS No.451』:
http://www.nict.go.jp/data/nict-news/NICT_NEWS_1504_J.pdf
ERATO 香取創造時空間プロジェクト:http://www.jst.go.jp/erato/katori/feature/
産総研『世界でいちばん正確な1秒!』:https://www.aist.go.jp/science_town/standard/standard_04/standard_04_02.html
池田亜希子
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