消毒薬
消毒薬は多くの種類があります。医療でよく使われるのはアルコール(エタノール、イソプロパノール)、ポピドンヨード、クロルヘキシジン、塩化ベンザルコニウムです。これらは採血や予防接種などの生体の皮膚の消毒によく使われています。ホルマリンやグルタラールは消毒薬としての作用は強力ですが、人体に有害なので、主に検体や医療器具の消毒に使われます。医療外では次亜塩素酸ナトリウム(NaOCl)がよく使われています。芽胞を含む全ての病原体に有効であり、使用後は最終的にNaClになり、無害であるためです。哺乳瓶や食品製造関連機器の消毒にも使われています1)。
次亜塩素酸(HOCl)
NaOClは代表的な塩素系消毒薬です。商品名のハイターⓇがよく使われています。水溶液中で次のように加水分解して、消毒の有効成分として次亜塩素酸(HOCl)を生成します2)。
NaOCl + H2O → HOCl + Na+ + OH– (1)
また、HOClは次のように解離します。
HOCl ⇄ H+ + OCl– (2)
この解離はpHにより大きく影響されます(図)。
図. HOCl の解離
pH 7.5付近でHOClとOCl–の割合は1:1ですが、よりpHが高くなると、HOClの割合が下がり、OCl–の割合が増えます。逆にpH 4付近でHOClのみになります。それよりpHが下がると、(3)のようにCl2が発生します3)。
HOCl + HCl ⇄ Cl2 + H2O (3)
消毒薬として有効なのは、HOCl、OCl–、Cl2です。ただし、OCl–は消毒薬としての効力は下がります。また、Cl2は気体であることから、取扱いが難しいです。
塩素ガス中毒
(3)のように次亜塩素酸の消毒液のpHを酸性にした場合、有毒ガスのCl2が発生します。トイレ用洗剤に酸性洗剤(サンポールⓇが有名です)があり、尿石の除去のためによく使われます。次亜塩素酸を含む塩素系消毒薬と塩酸を含む酸性トイレ用洗剤を同時に使うと、両液が混ざり、次亜塩素酸から塩素ガスが発生します。塩素ガスを吸入すると呼吸器系に大きなダメージを与え、呼吸困難から最悪の場合、肺水腫により死亡することがあります。身の回りにはこのような危険があります。事故防止のため、塩素系消毒薬の容器に「混ぜるな危険」と記載されています。
以前、ある大学法医学教室で塩素ガス発生の事故がありました。法医解剖で血液や病原体を含む体液が直接下水道に流れ込むのを防ぐため、解剖室の排液は次亜塩素酸で消毒してから、下水に放流していました。このときの消毒装置は排液のpHを連続測定しながら塩酸、水酸化ナトリウムを自動的に投入し、pHを弱酸性に保っていました。この装置が故障した場合、手動でpHを計り、塩酸や水酸化ナトリウムを投入していました。ある解剖の翌日、解剖室から続く下水道の通り道近くにあった動物飼育室で貴重な大型実験動物が死亡しているのが発見されました。調査の結果、解剖室での消毒装置への塩酸の投入量が多く、発生した塩素ガスによる事故と考えられました。
塩素ガス中毒は事故や自殺企図でみられます。ヒトが死亡した場合、外因による死亡であることから、法医学の死因究明の対象になります。
症例
1.事故4)
60代女性、清掃作業に従事。H病院で作業中、次亜塩素酸ナトリウムと酸性洗剤を誤って混合した。混合した液体の泡立ちと刺激臭があり、直後から激しい咳嗽や喘鳴、呼吸困難が出現しました。偶然、通りかかった看護師に発見され、外来を受診しました。呼吸不全が急激に悪化し、意識障害もあったためすぐに入院となりました。血中酸素飽和度65%と低下し、呼吸音は全肺野に著明なwheeze(喘鳴)、呼気の延長を認めました。血液ガス分析で高二酸化炭素血症、呼吸性アシドーシスを伴う低酸素血症を示していました。治療として、酸素吸入、気管支拡張薬プロカテロール吸入、ステロイドと気管支拡張薬アミノフィリンの静注により、症状は軽快し、入院9日後に退院しました。発見が早く、迅速に治療できたため、回復したと考えられます。
2. 自殺5)
30代男性、独居。うつ病の既往、過去に自殺企図歴あり。発見の約5時間前に本人から連絡を受けた家族が浴室の異臭に気づき、警察に通報しました。警察官と消防隊員が浴室に入り、刺激臭のある洗い場で倒れている男性を発見しました。直ちに病院に搬送されたが、死亡が認されました。浴室の通気口や換気口は目張りされ、現場で塩素ガスが検出され、酸性洗剤と塩素系消毒薬も発見されました。解剖から、肺の重量が重く、気道粘膜のびらん、気管内の白色細小泡沫を認めました。病理組織検査から肺炎は認められず、重度の肺水腫が明らかとなりました。血中3-クロロチロシンが高値であったことから、発見状況も考慮し、死因は塩素ガス中毒とされました。
混ぜるな危険
皆さんは「混ぜるな危険」という表示を見たことがあると思います。塩素系消毒薬と酸性洗剤の混合による塩素ガスの発生は、症例1のような不慮の事故を引き起こしたり、症例2のような自殺の手段として使われることがあります。事故については、正しい知識と注意力があれば、防止可能です。そのための注意喚起として、「混ぜるな危険」が使われています。
参考:
1. 消毒薬の選び方. ホームページ、健栄製薬.
https://www.kenei-pharm.com/medical/countermeasure/choose/feature01/
2. 大谷修. 危険な次亜塩素酸ナトリウムと適切な消毒. 敬心・研究ジャーナル.2019 年 3 巻 1 号 p. 1-7
https://doi.org/10.24759/vetrdi.3.1_1
3. 次亜塩素酸ナトリウムにpH調整のため塩酸を添加して使用することの有効性について. 要望書 生食用鮮魚介類等の加工への塩酸の使用について. 株式会社ハセッパー技研.
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002wy32-att/2r9852000002wyb2.pdf
4. 長神康雄,ら. 清掃作業中の塩素ガス吸入曝露により急性呼吸不全を来した1例. 日本胸部臨床. 72巻7号2013年7月.
5. 的場光太郎,ら. 3-クロロチロシンの検出によって塩素ガス中毒死を診断した一剖検例. 法医学男実際と研究. 64: 25-29, 2021.
上村 公一
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