溺死の診断と電解質

溺死の診断と電解質

生活反応

法医学では様々な死因を取り扱います。交通事故などによる損傷、頸部圧迫や溺死などによる窒息、薬物摂取、熱中症や低体温などによる環境異常、などの外因が原因となった死亡を外因死といいます。外因死は異状死であり、警察に届けられ、法医学者や監察医が死因を究明します。一方、病気が原因となった死亡は内因死であり、通常、死亡診断した臨床医が死因を決めます。生体に外因が作用した場合、人体にその痕跡が残ります。これを「生活反応」といいます。生活反応の定義は「体外から作用した刺激に対し、生体としての反応の結果発現する変化」です1。代表的なものは損傷部位の出血です。生体に外力が加わり、損傷が生起されると出血を伴います。心臓から送られた血液が全身をくまなく循環しているためです。逆に、死体では起こりません。刑事裁判で被害者の損傷に生活反応があることが加害行為の立証の決め手になることがあります。他の生活反応には、有毒ガスや溺水の吸引、薬物の消化管からの吸収、損傷部位の炎症、血液凝固、熱傷(軽度熱傷の場合)などがあります。

 

 

溺死の証明

溺死は外来の液体を気道内に吸引することにより死亡することです。肺での呼吸が障害され、酸素を体内に取り入れることができなくなり、窒息死に含まれます。溺死を証明する方法はいくつかあります。典型的な溺死では、肺胞内に入った溺水がサーファクタントと混ざり合い、時間が経つと洗剤の泡のようになって、鼻口部から漏れてきます。解剖では流入した溺水により肺内の空気は肺の表面に押し出され、かつ、肺全体が膨隆し、肺の表面の気腫と内部の水腫の両方が見られます。これを「溺死肺」とよびます。また、河川水や海水などの自然界の水には植物性プランクトンである珪藻が多量に含まれます。溺水が肺に到達すると、肺胞構造が壊れ、血管内に溺水が流入します。このとき珪藻も血中に入り、全身を循環し、肺や肝臓、腎臓、骨髄などの臓器にも珪藻が入り込みます。解剖後にこれらの臓器に取り込まれたプランクトン(珪藻)を顕微鏡観察により見つけることができます。これは溺水を吸引した生活反応となり、溺死の証明になります。

 

 

淡水と海水

水には淡水と海水があります。他に、河川の河口付近の淡水と海水が混合した汽水もあります。海水の特徴は塩辛さです。海水には多量の塩分(主にNaCl)が含まれ、一方、淡水に含まれる塩分は少ない。海水には電解質が多く含まれ、細胞内液より浸透圧が高く、高張液となります。一方、淡水は電解質が少ないため、低張液となります。

海水の組成:水96.6%、塩分3.4%。

塩分の組成:NaCl 77.9%、MgCl2 9.6%、MgSO4 6.1%、CaSO4 4.0%、KCl 2.1%

イオン組成:Na+ 30.61%、Mg2+ 3.69%、Ca2+ 1.16%、K+ 1.10%、Cl 55.05%、SO42- 7.68%、HCO3 0.41%

 

 

溺水と血漿浸透圧

淡水溺死では淡水が肺胞内に流入します。肺胞の細胞膜は浸透膜であり、細胞膜を隔てて肺胞の毛細血管と接します。浸透圧の低い肺胞内の水はより浸透圧の高い毛細血管内に移動します。その結果、血液は淡水で希釈され、血漿の浸透圧が低下します。同時に循環血液量が増加します。そうすると、赤血球など血球の細胞膜も浸透膜なので、血球内に水が流入し、最終的に血球が破裂します。これを溶血といいます。溶血により赤血球中のカリウムが血漿中に漏れだし、高カリウム血症になります。高カリウム血症は重症になると心臓の不整脈から心停止を引き起こします。淡水溺死は窒息に加え、溶血や循環血液量増加という負荷を体に加えます。参考までに、心臓の外科手術で心拍を止める必要があるとき、敢えて高カリウム液を心臓の冠状動脈に入れます。一方、海水溺死では溶血は起こらず、逆に血液中から水が肺胞内に移動することから、循環血液量が減少します。これも体によくないことです(図1)。

図1. 淡水溺水と海水溺水時の病態変化

 

 

溺死の胸腔液の電解質組成

胸腔には正常の場合、血漿と類似の組成をした10~20mLの液体(胸腔液、胸水)があります。血清電解質濃度:Na 137-147 mEq/L、Cl 98-108 mEq/L、Mg 1.9-2.5 mg/dL。いわゆる生理食塩水と同程度の電解質濃度です。肺炎、心不全、低栄養、などの病的状態では胸腔液が増えます。また、溺死の場合、肺に吸引された溺水は一旦肺内に貯まりますが、死後変化により数日の経過で胸腔内に漏れ出し、胸腔液が増えます(200〜500mL、1Lに達することもあります)。このとき、吸引した溺水が淡水か海水かにより胸腔液の電解質濃度に違いがでます。法医学の症例研究によれば、胸腔液の電解質濃度測定により、海水溺死と淡水溺死が判別できるとされています2

典型例では以下の様になります。

淡水溺死:電解質濃度が Na+ < 65 mEq/L、Cl < 65 mEq/L

海水溺死:電解質濃度が Na+ > 175 mEq/L、Cl > 155 mEq/L、Mg 2+> 20 mg/dL

 

終わりに

以上まとめると、溺死では以下の要因が死に関与します。

(1)肺胞低換気:肺内に空気の出入りが減るため

(2)呼吸床の減少:肺胞が溺水(外来性の液体)で満たされ、肺呼吸に使える面積が減る

(3)血中電解質の不均衡:循環血に進入した液体による浸透圧変化

(4)急性心不全:循環血液量の増加、減少のいずれも心臓に負担がかかり、心不全となる。

淡水も海水も血中に流入すると、血液中の電解質濃度に大きな影響を与え、生体にとって有害です。

 

 

 

参考:

  1. 長野耐造、若杉長英編集.生活反応. 現代の法医学(改訂第3版増補). p.21 金原出版 1998.
  2. 的場光太郎. 胸腔内液体の電解質濃度の溺死診断への応用. 北海道医学雑誌86(6); 251-258, 2011.

 

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上村 公一

東京医科歯科大学名誉教授、もと高校教諭(理科・化学)。専門は法医学、中毒学。テレビドラマや小説の法医学監修をしてきた。

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