前回、ウランを中国で「鈾」と書くに至った歴史的な経緯を述べた。最後に挙げたロブシャイトの英中対訳辞書は、すぐに明治維新直後の日本に伝わって、その和刻本やその他の辞書、西周らの書物、化学書の中で、そうした元素の造字が次々と紹介、使用されるようになった。
なお、五行思想は近代になるまで、訳語にまで影響を及ぼすことがあった。たとえば天文学でも惑星(遊星)に、木星、火星、土星などと付けられたため五行の行を採って「行星」という訳語を用いる人も江戸時代に現れ、現代の中国に受け継がれている。
漢字だけを使う中国に対して日本には、漢字のほかにひらがな、そしてカタカナがある。今でこそ元素名はカタカナで書くものがほとんどだが、実は明治時代には、すべてを漢字で書こうとする人も現れていた。
評論や翻訳で名を馳せた磯野徳三郎は、1883年に刊行した教科書『中学化学書』において、ウランに、
銪(金へんに有)
という字を作って当てた。
これは、いかにも日本らしく感じられる。元素記号はUなので、有利などの有(ユウ)がぴったりあたる。中国では、旁の「有」はyou第3声でイオウ(ヨウ)と読む。さらにUはウランのウでもあるため、有無の「有」(ウ)が音として最適である。このように、ローマ字の名前と発音に、漢音と呉音とを見事に対応させていた。
しかし、本人もこれらのオリジナルな字を以後の著述で使うことはなかった。今の日本人の学生たちや社会人に、ある元素を表した字と言ってこの字を見せると、音訓を区別する意識が薄れてきたせいか、訓読み「ある」からアルミニウムなどと推測して読んでしまい、今ひとつピンとこないようだ。
「ユウロピウム」と答えた学生もいたが、これは、日本での磯野による使用とは全く別に中国で、この字を種々の曲折を経てユウロピウム(Eu)に当てるようになっていたことを手元のケータイで調べた結果だったのかもしれない。また、一人の学生は、「鮪」という字に似ているから「マグネシウム」と答えた。この字をマグロと訓読みした日本人にしか思い付かない発想だ。
さらに、磯野は、前回触れた中国でウランとして使われたことのある、
鐄(金へんに黄)
を、別の元素である金として用いていた。黄金をもとにした字であろうが、当時、日中の様々な著者による化学書を読む人たちは、同じ漢字が異なる元素を表すという状況に、さぞかし混乱したことだろう。
なお、日本ではこのような造字に至るまでに、江戸時代から元素名をカタカナで例えば「ウラニウム」と表記したり、音訳する漢字を「烏剌紐母」などと並べたりする表記法があった。この音訳は、中国にも伝わっていた。
磯野は、ルテニウム(Ru)には「●(金へんに竜)」という字を作った。中国では「釕」である。中国人は、英語のrとlを発音し分けるのが得意とされる。しかし、「羅」もlだがRomaに「羅馬」が当てられたように、音訳では意外とrとlを区別しないことがある。ruの音に「ru」と読む漢字を当てることもあるにはある。実際に「銣」のように「如」(ru第二声)がルビジウム(Rb)の訳に使われている。ただ、raやroと読む漢字は北京語にないので当てようがない。
もし中国人の著者ならば、当時、通常は「竜」ではなく「龍」という字体を選んだであろうし、「ロン long」という韻の末尾を全く無視させるようなことは、元素の音訳においては難しかった。磯野の訳字は、あくまでも漢字に強い日本人向けのものだった。
中国の話に戻ろう。ここまでに示したとおり、各国から来た中国にやって来た宣教師と各地の現地中国人との組み合わせも気になる。外国の言語と中国語の方言との掛け合わせなのだが、次のように多彩であったようだ。
フランス・北京 北方官話
アメリカ・北京 北方官話
アメリカ・杭州 呉方言(ごほうげん)
ドイツ ・広東 粤方言(えつほうげん 広東語のこと)
最下段のドイツはロブシャイト(ロブシャイド、ロプチード)を指している。彼の母語はドイツ語だが、英語で辞典を編んだ。そこでの中国語訳には広東語特有の方言漢字が多用されていることから、彼に広東語を教える人が近くにいたことがうかがえる。
発音をしたり聞いたりする際に、「n」と「l」とが混同される方言が、広東や福建、四川などにある。国名ではフランスを広東で「仏」と訳した。しかし広東ではその字の発音がfで始まるのだが、上海ではvで始まる音となってしまうために、上海でfで始まる「法」に訳し直した。それは、各々の方言での漢字音によるものとした千葉謙悟氏の基礎方言シフトという説がある。
アメリカを広東で「米」と訳し、上海で「美」と訳し直したことも、日本に影響を与えている。このような事実が元素の音訳字を選ぶ際にも影響した可能性はないだろうか。ただし、日本で使われた貨幣単位の「法」(フラン)や、日本製の「弗」(ドル)の漢字圏での広まりに際しては、そうした発音は度外視されていた。
様々な元素に対して、発音から選んだ漢字を1字だけ当てて「阿」「須」「烏」などと表現する人も明治初期にいたが、もはやそうしたものが広まる時代ではなくなりつつあった。温度の華氏、摂氏、列氏のほか、『勃氏眼科新論』『抱氏眼科新論』というように医学書などの書名でも、西洋人の名前の1字目を音訳した漢字で表現することが江戸時代後期から明治時代初期に流行っていた。西洋人らの固有名詞の1字目を漢字にすることで、大文字の頭文字の代わりとすることも、明治初期の小説家などによって行われた。
数の単位のミリオン、ビリオンにさえ1文字目の音に漢字を当てて表現する人が戦後に複数現れたが、これらもまたカタカナ表記の勢いには適わなかった。
さて、磯野の著述に先立つ1874年には、ウランのことを、
ゆらにうむ
と、ひらがなで書くことを主張し、みずから実践した人もいた。和語を尊重する、かな文字論者の清水卯三郎で、『ものわり の はしご』(1874年刊)における提案と実践によるものであった。「ものわり」とは化学を和語に言い換えた語である。化学は中国から伝わった単語で、江戸時代には「舎密」(セイミ)と言った(オランダ語から。英語のchemistryが対応する)。これは、早稲田大学図書館所蔵の巻2-14丁ウラにある(インターネット上で見ることができる。)平易な日本語を志す営みの一環であったが、『ものわり の はしご』の「ゆらにうむ」には、なにやら優しくも妖しげな雰囲気が感じられなくもない。江戸時代のうちに、すでに宇田川榕庵は、「ウラニウム」とカタカナで書いていた。
こうしたカタカナ優位な趨勢の中、近年でも元素名にオリジナルの漢字を作る人たちがいる。「自作漢字集 元素漢字」というサイトに、ウランに対して、天王星Uranusから「金へんに、天のしたに王」、核燃料、原子力燃料に用いられることから「金へんに核」「金へんに原」、そして「怨む」から「金へんに怨」という4つの新たな「字」が紹介された。1つは訓読み、3つは意味からできている点で、音から作られた中国の「铀」とは対照的である。
最後の例は、「うらむ」という訓読みを利用したものだが、こう表記すればこのことばのもつ怨恨という意味が、ウランを書くたびに連想されてしまいそうだ。これらも造字という点で上記の中国で提案された字と同じなのだが、それらのうちの歴史の中で早々と消えていったいくつもの字と同じ運命を辿ったのだろう。ただしこうした一回的な字も、ネットの中に残され、100年後には再び磯野の造字と併せて記述と考察の対象となるに違いない。
漢字で書くか、ひらがなで書くか、それともカタカナで書くか、そしてどのように書くのがベストなのか。漢字の「铀」とカタカナの「ウラン」の定着に至るまでの試行錯誤には、先人たち、とくに19世紀の末の先駆者たちによる並々ならぬ努力と工夫が凝らされていたのである。
主要参照文献
坂出祥伸「中国における近代的科学用語の形成と定着」『日本の科学と技術』164号 1974島尾永康「Lavoisier化学命名法の日本における確立」『科学史研究』100号 1971
笹原宏之『日本の漢字』 岩波書店 2006
成 明珍『日中韓三国の専門用語における語彙・文字に関する研究 -医学・化学分野の漢字・漢語を中心に-』 早稲田大学博士学位論文 2015
笹原 宏之
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