ネオン(10Ne)は1898年にイギリスの化学者W.ラムゼーとM.トラバーズによって発見されました。当時はヘリウムとアルゴンが発見され,周期律から原子量20の気体の存在が確実視されていました。ネオンは,ラムゼーが液体空気を徐々に昇温して分溜する実験で窒素,酸素,アルゴンに続き,クリプトン,キセノンと共に見出されました。 |
ネオンの発見
クリプトン(36Kr)の発見に勢いを得たラムゼーとトラバーズの二人は,先に単離した15㍑のアルゴン(18Ar)を液化して11㎤の無色液体を得,それを注意深く分溜しました。最初に気化してきた成分(沸点-246.1℃)は,赤・橙・黄の複雑なスペクトル輝線を示し,ギリシア語で「新しい」を意味するνεοςからネオン(neon)と命名されました。稀土類元素のネオジム(60Nd)の語源も同じです。(⇒ネオジムについてはココをクリック)
さらに別途30㍑の液体空気から12㎤のクリプトンを分離し,このときクリプトンよりも沸点が高く(沸点-108.1℃),密度が大きい気体が発見されました。スペクトルからやはり新元素と確認され,キセノン(xenon)と命名されました。世界初の純粋なキセノンの体積はわずか3㎤でした。(⇒キセノンについてはココをクリック)
この後にも引き続いて120㌧の液体空気をもとにして,更なる新元素が求められましたが,それ以上には見出されませんでした。時に1898年夏,ラムゼー45歳。予言の公表から1年以内という快挙でした。
稀ガスの空気中での濃度をまとめると,多い順に,空気1000容積中,
アルゴン:9.37容積 ネオン:0.015容積
ヘリウム:0.004容積 クリプトン:0.00005容積
キセノン:0.000006容積
であり,例えば空気中におけるキセノンの存在割合は海水中における金の存在割合よりも少ないほどです。
稀ガスの発見は,周期系に〝調和〟を与え,原子の電子殻の理論を発展させることにも寄与しました。電子配置の考え方は化学的不活性を説明して化学理論にも寄与し,更にはイオン結合や共有結合の考え方の基礎にもなりました。
ネオンは,常温常圧で無色無臭の単原子分子の気体(融点-248.7℃,沸点-246.1℃)で,稀ガスの中で二番目に軽い気体です。ガイスラー管に封入して放電すると橙赤色を発します。
稀ガスの放電による発光
(左から右へ,ヘリウム,ネオン,アルゴン,クリプトン,キセノン)
出典:Alchemist-hpによる”Edelgase in Entladungsroehren”ライセンスはCC BY-NC-ND 3.0(WIKIMEDIA COMMONSより)
ネオンは,工業的には空気を液化・分溜してつくられ,液体は冷媒としても用いられます。また,ネオンの密度は窒素分子に近いので,酸素とネオンから成る混合気体の中での音速は空気中での音速に近く,酸素とヘリウムの混合気体のような音質の変化は起きません。この特性を生かして潜水や宇宙船内用の人口空気として使われることがあります。
工業では,機械加工や半導体製造で用いられるエキシマレーザーなどの添加用気体(バッファガス)として使われます。エキシマレーザーは稀ガスとハロゲン(フッ素や塩素)の混合気体中でのパルス放電によってレーザー光を発生させる装置で,工業用途のほかに眼科医療のレーシックなど視力矯正手術でも利用されます。
放電管から発見された安定同位体の存在
放射性同位体が発見されると,次に,複数の安定同位体から成る元素で,同位体の存在を確認する必要が課題となりました。
真空に近い低圧気体中の放電で陽極から陰極に向かって流れる陽イオンの流れ(陽極線)について,1886年にドイツの物理学者E.ゴルトシュタインは,陰極にあけた小孔から外室に取り出すことに成功し,イギリスの物理学者J.トムソンらの研究によって,陽極線はイオン化された気体原子の流れであることが確認されました。
トムソンはゴルトシュタインの陽極線管を改良した装置を用いて次のような実験を行いました。陽極線管では陰極から陽極に向かって放出された電子は管内に存在する気体原子(A)に衝突して電子を叩き出し,Aはラジカルカチオン(A・+)になります。(次式)
A+e-→A・++2e-
生じたラジカルカチオンは,陰極に向かって加速されますが,電場と磁場を通過する際に進路を曲げられ,その曲がり方の程度はラジカルカチオンの質量に反比例します。1913年,トムソンは,気体容器にネオンを入れて実験を行い,写真乾板に写り込んだ軌跡に,ネオンから生じた二つのラジカルカチオンに対応する軌跡を観察しました。この結果についてトムソンは,ネオンが二つの同位体(質量数20と22)の混合物であり,二つの軌跡はそれらに帰属されると結論付けました。これは安定同位体の最初の発見で,その後に改良されて質量分析法に寄与しました。
ネオンの同位体(20Ne,22Ne)の飛跡(右下方)
出典:Francis William Astonによる”Discovery of neon isotopes”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)
ネオンとネオンサインの歴史
フランスの技術者G.クロードは,空気の液化装置をつくり,1日に100㍑のネオンが得られるようになりました。クロードは,得られたネオンを管に封入して通電したところ,その気体は鮮やかな赤色を発しました。クロードは,アメリカの電気技師で発明家のD.ムーアが発明したムーアランプ(後述)を改良して,ネオンを封入した管で放電する方式の新たな照明器具を1910年に製作しました。ネオン放電管の公開は,1912年のパリ万国博覧会でが最初とされ,グラン・パレの前に設置されました。
クロードは,更に実験を続け,水銀蒸気やアルゴンも放電によってそれぞれの色の光を明るく放つことが分かったので,放電灯の特許を取得し,1915年に電飾を扱うクロード・ネオン社を設立しました。1923年に同社がアメリカにネオン看板を紹介すると,昼間でも明るい光とその鮮やかな色は「liquid fire(液体の炎)」と注目を集めました。
1920年代にアメリカ・ユタ州で看板業を営んでいたT.ヤングは,ネオンを封入したガラス管を曲げて工作すれば,電球を文字状に並べるよりも電飾看板として効果的であることに思い至り,クロード・ネオン社の許諾を得てネオン管を製造するヤング・エレクトリック・サイン・カンパニー(YESCO)を設立しました。同社はアメリカ南西部を販路に,ラスベガスなどで多くのネオンサインをデザインしました。アメリカの小説家T.ウルフは,ラスベガスのことを,建物ではなくネオンサインが地平線をかたどる都市である,と表現しました。
YESCO社のロゴ
出典:Young Electric Sign Companyによる”Logo of the Young Electric Sign Company (YESCO).”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)
ネオンサインの日本国内での最初の設置は,谷沢カバン店(東京都中央区銀座,現・タニザワビルの銀座タニザワ本店),白木屋大阪支店(大阪市中央区備後町,現・第二野村ビルディング),日比谷公園(東京都千代田区)などとされています。
放電灯の種類とその歴史
ここで,ネオン管に関連して放電灯についてもまとめておきます。
放電灯は,放電によってルミネセンス(冷光)や熱放射光を発生させる照明で,イタリアのA.ボルタが電池を発明して19世紀には電気の安定的な使用が可能になると開発されました。
最も古い放電灯はH.デーヴィーが1808年に発明した炭素アーク灯で,それ以前にあった照明に較べて明るく,人々を驚かせました。炭素アーク灯は,人類が初めて得た電気による照明でしたが,制御が難しく寿命が短いことなどから普及しませんでした。
1856年,稀ガスを封入したガラス管の放電で発光させるガイスラー管が発明されました。ガイスラー管は,ドイツの機械技師H.ガイスラーが物理学者J.プリュッカーの依頼で考案したもので,低圧の気体を電極と共にガラス管に封入し,電極に高電圧をかけて放電させます。ガイスラー管は発光実験のための器具であり,照明器具として使うことを目的としていませんでしたが,ガイスラー管を契機にして蛍光管などが考案されました。
ガイスラー管
出典:”Geissler Tube”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)
1894年になると,窒素と二酸化炭素を封入したムーアランプが発明されました。ムーアランプは,高価ながら当時主流であった炭素フィラメントの電球よりも明るくて自然光に近く,ホテル,レストラン,教会などに設置されました。ムーアランプはタングステンフィラメントの電球に取って代わられましたが,それから派生したネオン管が1910年に発明されると,アルゴンを用いるなど改良が加えられ,広告照明という需要が生まれました。
蛍光管は,水銀蒸気への放電で生じる紫外線を蛍光体に当てることで発光させる照明で,1938年に発明されました。放電と蛍光体を組み合わせた方式で,改良されながら白熱電球に代わる主要な照明としてLEDランプの登場まで広く使われました。
高輝度放電灯(HIDランプ)は,低圧放電である蛍光灯に対して高圧放電によって発光する照明の総称で,水銀灯,ナトリウム灯,メタルハライド灯などがあります。
水銀灯は,ガラス管に水銀蒸気を封入した放電灯で,1901年に登場し,1944年に低圧水銀灯,1947年に高圧水銀灯が実用化されました。ナトリウム灯はナトリウムの蒸気を使用した放電灯で,1919年に登場して1932年に実用化され,高圧ナトリウム灯は1960年に発明されました。
メタルハライド灯は,ナトリウム,稀土類元素などのハロゲン化物を封入した照明で,1962年に米・GE社から特許が申請され,1964年頃から使用されました。高圧水銀灯の効率の良さと高出力の輝度を維持しつつ,演色性を改善した照明で,太陽に近い白く明るい光を放つこと,元素を変えて色の調節ができることなどから,自動車用前照灯や液晶プロジェクターの光源,街灯などに幅広く使われています。
参考文献
「化学暦」村上枝彦著(みすず書房,1971年)
「日本のネオン」日本のネオン編纂委員会編(社団法人・全日本ネオン協会,1977年)
「化学史傳」山岡 望著(内田老鶴圃新社,1979年)
「光と影のドラマトゥルギー」W.シヴェルブジェ著,小川さくえ訳(法政大学出版局,1997年)
同位体の発見と分類,その利用について,熊本卓哉,化学と教育,61,70~73(2013)
「世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史」S.ジョンソン著,大田直子訳(朝日新聞出版,2016年)

園部利彦

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