クリプトン(Kr)-空気から姿を現した元素

 ヘリウムとアルゴンが相次いで発見され,その原子量はHe=4.0,Ar=40でした。反応性に乏しく,原子価は0。こうした事実が明らかになるに及び,D.メンデレーエフの周期表において,1族(アルカリ金属)の前に一つの族が新たに設けられました。今回はクリプトン(36Kr)が発見されるまでの歴史です。

アルゴンに次いで単離されたヘリウム

W.ラムゼーはイギリスのグラスゴウに生まれました。父は家業の染料工業に従事し,母の家は代々の医家でした。祖父には四人の子がいて,長男(ラムゼーの父)が家業を継ぎ,次男は地質学者になりました。三男は製糖原料を栽培し,長女は植物学に造詣がありました。
ラムゼーは一人っ子で,両親の愛を受けて幸せな幼少年期を過ごしました。ある日,フットボールで足を捻挫して療養した時,叔父(祖父の三男)の蔵書からT.グレアムの化学書を読み,化学に興味を抱くようになりました。グレアムはロンドンのユニバーシティ・カレッジを経て造幣局長官になった人で,英国化学会の初代会長にもなりました。気体の拡散に関する法則を発見し(1831年),物質をコロイド(膠質)とクリスタロイド(晶質)に二分したことから近代コロイド化学の父とも呼ばれます。

ラムゼーはグラスゴウ大学を卒業後,ドイツのハイデルベルグ大学でR.ブンゼンに学び,その翌年にはチュービンゲン大学でR.フィッティッヒに学びました。1872年夏に故国に戻り,アンダーソン・カレッジの助手を経て1880年まで母校の助教授,次いでブリストル大学で教授になりました。そして,1887年から1912年まで,かつてグレアムがいたユニバーシティ・カレッジで教授を勤めました。

 

 

 

 

 

ユニバーシティ・カレッジ時代のラムゼーの居宅の銘板
出典:Spudgun67による”Sir WILLIAM RAMSAY 1852-1916 Chemist Discoverer of the Noble Gases lived here 1887-1902”ライセンスはCC BY-SA 4.0(WIKIMEDIA COMMONSより)

アルゴンの化合物をつくろうと苦心惨憺さんたんしているとき,ラムゼーの友人で鉱物学者のH.ミアーズから届いた手紙に,アメリカのW.ヒレブランドがノルウェー産のクレーベ石(cleveite,組成はUO・UO・PO・ThO)というウラン鉱物の中から窒素の気体を単離したことが書かれてありました。
ラムゼーはこれもアルゴンのことではないだろうか,だとすればクレーベ石にはアルゴンの化合物が含まれているかもしれないと考えました。早速取り寄せて実験し,得られた気体のスペクトル線を見ると,明瞭な黄色の輝線がありました。窒素でもなくアルゴンでもない。奇妙だと思った彼の脳裏に,過去の記憶が甦るのでした。

1868年,彼が15歳の夏,8月18日に皆既日食がありました。この日はブンゼン-キルヒホッフの分光器が発明されて以来,初めて太陽の紅炎(プロミネンス)のスペクトル分光試験が行われ,フランスの天文学者J.ヤンセンによって,顕著な黄色の輝線が確認されました。それはナトリウムに近く,わずかに緑色の側(短波長側)に偏っていました。その後イギリスの天文学者N.ロッキヤーにより,これは地上の既知元素ではなく,太陽の中にだけ存在する元素だとしてヘリウム(helium)と名付けられていたのです。(⇒ヘリウムについてはココをクリック)
これに思い至ったラムゼーは文献と照合し,クレーベ石からの気体がヘリウムであると確定しました。

 

 

 

 

紅炎(プロミネンス)
出典:NASAによる”Solar prominence from STEREO spacecraft September 29, 2008”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)

 

単原子分子の発見とその後

アルゴンとヘリウムという単原子分子から成る不活性な気体の発見は,このような気体の存在が偶然ではなく規則的なものであって,言い換えれば類似の気体の発見を予期させるものでした。しかし,稀ガスの存在は化学者にもなかなか認められず,D.メンデレーエフ及びそれ以前の周期系に関する考察には,不活性な単原子分子気体という区分(族)はありませんでした。現に,1895年3月のロシア化学会の会合でD.メンデレーエフは,原子量40の気体の存在は自身の周期系には適合せず,その気体はNであると述べています。

他の物質と反応しない場合,密度が求められても,それだけでは原子量を確定することはできません。例えばアルゴンでは,1㍑の質量(約2g)から分子量は約40と求められますが,単原子分子であれば原子量は40ですが,二原子分子であれば20となります。
アメリカの科学者W.セジウィックは,1890年,同一周期に属する各元素の原子量の差をもとに原子価をもたない元素の存在を推定しました。具体的には,

C(=12)  N(=14)  O(=16)  F(=19)

では原子量がおよそ2ずつ異なることから,これらと同一周期の0価元素の原子量は20であり,他の周期の0価元素の原子量は40,80,120など,20の倍数であるとしたのです。
また,フランスのL.ボアボードランは,アルゴンが発見された後,未知なる不活性元素の原子量について,20.0945,36.40±0.08,84.01±0.20,132.71±0.15と予測し,最初の二つは他の元素より豊富に存在することも予測しました。彼は原子量の算出方法については述べていませんが,後に発見されたクリプトン(Kr=87.3)とキセノン(Xe=131.3)の原子量とよく一致しています。

それでは,アルゴンが単原子であることはどのようにして分かったのでしょうか。ラムゼーらは,アルゴンの反応性を調べるために様々な反応を試みて化合物を得ようとしました。化合物が得られれば原子価が分かりますが,アルゴンは全くもって不活性でした。(アルゴンの化合物は,長い間知られていませんでしたが,アルゴンとフッ化水素(HF)を紫外線照射下で反応させることによってアルゴンフッ素水素化物 (HArF) が2000年に合成されました)
化学的な手法に代わって用いられたのは物理的な手法でした。すなわち,

Cv:定積モル比熱(体積一定で気体1molの温度1Kの上昇に必要なエネルギー)
Cp:定圧モル比熱(圧力一定で気体1molの温度1Kの上昇に必要なエネルギー)

について,Rを気体定数として,

単原子分子ではCv=3R/2=12.5J/(mol・K),Cp=5R/2=20.8J/(mol・K)
二原子分子ではCv=5R/2,Cp=7R/2

です。ゆえにCp/Cvの値は,

単原子分子ではCp/Cv=5/3=1.67
二原子分子ではCp/Cv=7/5=1.40

であり,Cp/Cvの値は分子を構成する原子の数によります。アルゴンの値は1.67でした。

アルゴンの原子量が40と分かった後も,その原子量がカリウム(19K=39)より大きかったことから,アルゴンはカリウムとカルシウム(20Ca=40)の間に位置付けられるとも考えられました。しかし,元素の周期律を認める以上,アルカリ金属(1族)とアルカリ土類金属(2族)の間に不活性な元素が存在するとは考えにくく,アルゴンの原子量は40ではなく,やはり20であるとする考え方も残りました。

 

ラムゼーの予言と実行

ラムゼーは,比較的早い時期から,アルゴンとヘリウムは周期系においてハロゲンとアルカリ金属の間に設けられるべき新しい族に入ると考えていました。新元素が属する未知のグループがあり,そのうちのアルゴンとヘリウムだけが発見されたに過ぎないと考えたのです。
ラムゼーもレイリーも,アルゴンの原子量は40であるが,それを周期系でカリウムとカルシウムの間に置くのがふさわしいとは考えませんでした。原子量の40を正しいとする以上,周期系が正しくないか,アルゴンが混合物であるかのどちらかを選ぶことが迫られます。アルゴンが混合物であるという考え方は,既知のハロゲンである塩素の次に「原子量37の元素」,同じく既知の臭素の次に「原子量82の元素」をそれぞれ想定し,その二つが平均値40になるような比で存在している,という考えによるものでした。

ラムゼーは周期表を眺め,ある大胆な予言をしました。それは原子量4のヘリウムと原子量40のアルゴンが発見され,メンデレーエフの周期律の正当性が揺るがない以上,原子量が20,82,130なる3種の元素が発見されねばならないというものです。ラムゼーはこの予言の正しさを確信し,M.トラバーズを助手として作業にとりかかりました。目指す新元素も気体に相違ないと,空気中に残された未知の世界に標的を定めたのです。
手始めにラムゼーは膨大な量の空気を処理して,15㍑のアルゴンを単離しました。ここでラムゼーに味方したのは気体の液化装置の発明者W.ハンプソンで,1㍑の液体空気をラムゼーに寄贈しました。これはラムゼーにとって実験操作を大きく簡略化するものでした。
液体空気を注意深く昇温して気化させます。先ずは窒素(沸点-195.8℃),アルゴン(沸点-185.9℃),次いで酸素(沸点-183.0℃)。最後に気化してきた部分(沸点-152.3℃)を真空容器に採取しスペクトルを…,そして密度。スペクトル輝線は黄と緑,更なる新元素の発見でした。
これに続くラムゼーの快挙は次回に譲ります。

 

クリプトンの用途

クリプトン(krypton)という名前は「隠れた」を意味するギリシア語のκρυπτοςクリユプトスによります。スウェーデンの博物学者C.リンネは,『植物の種』(1753年刊)で,花をつけないで胞子で繁殖するシダ(羊歯)類・コケ(苔)類・そう類・菌類をまとめて隠花植物(cryptogame)と呼びましたが,これも同じ語源に基づく命名です。

クリプトンのスペクトルは,1960年から1983年の間,長さの単位の基準でした。1メートルは「86Krの橙色のスペクトル線(準位2p10と5dの間の遷移)の真空中における波長の1650763.73倍に等しい長さ」と定義されていました。
クリプトンは,アルゴンやキセノンと同様,フィラメントの劣化を抑制するために白熱電球に封入されます。ここで,原子量が大きいほど,同じ温度で較べると原子の運動は小さいので熱伝導率が小さくなり,発光効率は良くなります。したがって,アルゴン電球よりもクリプトン電球,更にキセノン電球の順に,電球の寿命はより長くなります。また,放電で励起されると青白色の光を放出し,写真のフラッシュに利用されたり,フィルターで分光して使われたりします。

 

〔左〕クリプトン電球
〔右〕クリプトン管の放電 出典:Alchemist-hp (talk)による”Krypton discharge tube”ライセンスはCC BY-NC-ND 3.0(WIKIMEDIA COMMONSより)

 

参考文献
「ネイチャー」1892年9月29日号,46,512~513
「化学暦」村上枝彦著(みすず書房,1971年)
「周期系の歴史・下巻 個々の問題とその解決」J.スプロンセン著,島原健三訳(三共出版,1978年)
「化学史傳」山岡 望著(内田老鶴圃新社,1979年)
「新訂定性分析化学 中巻・イオン反応編」高木誠司著(南江堂,1984年)
「元素発見の歴史3」M.ウィークス・H.レスター著,大沼正則監訳(朝倉書店,1990年)
「化学元素発見のみち」D.トリフォノフ・V.トリフォノフ著,阪上正信・日吉芳朗訳(内田老鶴圃,1996年)
「単位の成り立ち」西條敏美著(恒星社厚生閣,2009年)
「元素118の新知識」桜井 弘編(講談社,2017年)

 

改訂:2025年3月4日

①誤字修正:変更前)期待定数 変更後)気体定数 併せて、記載位置を変更いたしました。
②単位の修正および追記:変更前)[J/(mol・K)] 変更後)J/(mol・K) 併せて、単位の記載漏れがございましたので追記いたしました。
③最後の段落について、記載内容の詳細を追記するための修正いたしました。

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園部利彦

2017年まで岐阜県の高校教諭(化学)。2019年に名古屋工業大学「科学史」,2020年に名古屋経済大学「生活の中の科学」,2022~2024年に愛知県立大学「教養のための科学」を担当。趣味は鉱山の旅とフランス語。