ダームスタチウム(Ds)-ドイツの学術都市でつくられた元素

ダームスタチウム(110Ds)は超アクチノイド元素の一つです。1980年代初頭から1990年代初頭にかけて,ドイツの研究グループは,コールド・フュージョン(cold fusion)という核融合反応によって107番から112番までの元素の合成に相次いで成功しました。

ダームスタチウムの合成と性質

1994年,ドイツの重イオン研究所(GSI)で,物理学者P.アルムブルスターとS.ホフマンらの研究チームは,鉛の同位体(208Pb)を標的として重イオン線形加速器で加速したニッケル(62Ni)のイオンを衝突させ,生成物の中に110番元素(ウンウンニリウム,Uun)の質量数269の原子3個を確認しました。さらに同グループは,1998年に208Pbと64Niから質量数271の同位体も得ました。

208Pb+62Ni→269Uun+
208Pb+64Ni→271Uun+

合成された269Uunはα線を出しながら次のように壊変しました。(括弧内は半減期)

269Uun(0.18㍉秒)→265Hs(1.9㍉秒)→261Sg(178㍉秒)
257Rf(4.4秒)→253No(1.6分)→249Fm(2.7分)

 GSIのあるダルムシュタット市に因む元素名,ダームスタチウム(darmstadtium)は2003年に決定されました。ダームスタチウムには安定同位体は存在せず,現在見出されている最も長寿命の同位体は281Dsで,その半減期は約11秒です。物理的性質及び化学的性質は共に不明ですが,銀色ないしは灰色の金属と推定されています。

 

ダルムシュタットの街と歴史

110番元素の名前のもとになったダルムシュタットは,ドイツ連邦共和国・ヘッセン州の南部にあり,フランクフルト・アム・マイン,ヴィースバーデン,カッセルに次ぐヘッセン州で第四の都市です。研究と学術の街で,化学品・医薬品メーカーのメルク社が17世紀に創業し,19世紀後半には工科大学が創設されました。
メルク社はF.メルク(1621~1678)が同地に開いた「天使薬局」(Engel-Apotheke)に始まり,19世紀前半に製薬企業へと展開しました。次の写真は『メルク・インデックス』で,アメリカのメルク&カンパニーが発行しているカタログでありハンドブックでもあります。『メルク・インデックス』は,化学・薬学・生物学の情報源で,化合物の物性や化学式(構造式),商標名,薬学的作用などが収載されています。

 

 

 

メルク・インデックスの初版(1889年)
出典:”Merck’s Index, 1889”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)

ダルムシュタットの街は中世前期にフランク人によって建設され,14世紀に市場が開かれるようになると交易路の要所となりました。しかし,三十年戦争(1618~1648)では他国の軍隊に幾度も占領され,加えて戦を避けて移入した人々がもち込んだペストが広まりました。三十年戦争は,ハプスブルク家とブルボン家との敵対,ドイツの新旧両教徒の諸侯間の反目に始まり,戦場はデンマーク,スウェーデン,フランスに及びました。ドイツにとっては,国内を分裂させるばかりで,この戦争が国の近代化を遅くしたとされます。
19世紀に入るとヘッセン・ダルムシュタット家が大公を担いました。ヘッセン大公国の初代大公となったルートヴィヒⅠ世(1753~1830,在位1806~1830)の治世に計画的な都市化と工業化が進められ,ダルムシュタットは再興しました。また,最後のヘッセン大公となったエルンスト・ルートヴィヒ(1868~1937,在位1892~1918)は芸術を保護し,1899年に芸術家たちの街が「マチルダの丘」に創設されました。

 

 

 

 

 

ダルムシュタット市の紋章
出典:Heinz Rittによる”Darmstadt, city of Germany”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)

第二次大戦直前の1938年11月9日から翌日の未明にかけて,ドイツ国内各地,併合後のズデーテン地方(現・チェコ共和国),オーストリアでシナゴーグ(ユダヤ人の会堂)やユダヤ人商店が襲撃されました。この暴動は,ナチス党員と突撃隊(SA)によるもので,ダルムシュタットでも起き,水晶の夜(Kristallnacht)と呼ばれました。〝水晶の夜〟という名前は,家々が破壊されて散乱したガラス片が月光に輝いたことから付けられました。しかし,それはナチスによる暴力を賛美したものであるとして,現在では「ユダヤ人迫害」を意味するポグロム(Pogrom)と呼ばれます。

 

元素の合成と核融合

元素の変換は錬金術以来,人類の夢でした。とりわけ20世紀半ばになると,93番元素以降(超ウラン元素)の探究が本格化しました。
1940年代から1950年代にかけての研究は,マンハッタン計画に続いて行われた核実験をもとにして進み,アメリカの研究者が世界をリードしました。具体的には,ローレンス・バークレー研究所を中心とする研究グループによって核爆発生成物の分析が行われ,ネプツニウム(93Np)からローレンシウム(103Lr)までの元素が確認されました。

93番から101番までの元素合成には,中性子,水素,ヘリウムなどの軽い粒子のビームが使われたのに対して,1960年代の102番元素以降の合成では,ホウ素よりも重い粒子のビームで核融合を起こさせる方法が用いられました。高エネルギーの中間的な状態を経由することからホット・フュージョン(hot fusion)と呼ばれます。

ホット・フュージョンによる超フェルミウム元素(101番以降の元素)の合成は,核実験や原子炉ではなく粒子加速器を用い,重い原子核の標的に軽い原子のイオンを照射する方法で行われました。生成物は微量で,不安定な核種のため短時間のうちに自ら核分裂します。自発的核分裂は,検出されやすいことが特徴の一つですが,壊れた核種が何であるかを特定しにくいこともまた特徴です。
104番から106番までの元素は東西冷戦下のアメリカと旧・ソ連の熾烈な競争の産物でした。ラザホージウム(104Rf),ドブニウム(105Db),シーボーギウム(106Sg)という元素名に落ち着くまでには,〝超フェルミウム戦争〟とも呼ばれる両国科学者の威信をかけた論争がありました。(⇒元素名の命名の経緯についてはココをクリック)

107番から112番までの元素の合成は,1980年代から1990年代初頭にかけて進展し,鉛,ビスマスの原子核を標的としたコールド・フュージョンによって行われました。
コールド・フュージョンは,1965年にチェコスロバキア(当時)の物理学者Y.マリによってその可能性が指摘されました。マリは,鉛やビスマスを標的とし,クロム(24Cr)よりも重い粒子を核融合に必要な最小限のエネルギーで加速して照射する方法を着想しました。この場合,中間状態(融合核)のエネルギーはホット・フュージョンの場合よりも低いことからコールド・フュージョンと呼ばれました。
コールド・フュージョンによる成果はドイツの独壇場でした。ダルムシュタットのGSIが研究の中心となり,GSIがあるヘッセン州から名付けられたハッシウム(108Hs)やダームスタチウムがつくられたのです。

 

原子核にも見られる殻構造

原子の中心には正電荷をもつ原子核があり,核外電子は原子核に束縛され,電子数が2,10,18,36…のときには閉殻を成して安定化します。電子殻はN.ボーアによる原子モデルにおける核を取り巻く電子の軌道群で,E.ラザフォードによる原子モデル(惑星モデル)の矛盾を解消するために考えられました。

 

ラザフォードモデルで表された窒素原子(左)と
ボーアモデルで表されたダームスタチウム原子(右)
出典:
 〔左〕Night Inkによる”Rutherfordsches Atommodell”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)
 〔右〕Ahazard.sciencewriterによる”enhanced Bohr model with subshells”ライセンスはCC BY-SA 4.0(WIKIMEDIA COMMONSより)

ボーアモデルが確立した20世紀初頭から,原子核にも殻構造がある可能性が指摘されていましたが,当時の核のモデルは核全体を連続体として考える液滴モデルが主流でした。1930年代後半に発見された核分裂の現象も説明することができたので,液滴モデルは支持されました。
アメリカの物理学者M.ゲッパート・メイヤーは,同位体分離の研究から,1947年,特定の数の陽子と中性子から成る原子核が安定であることに気付きました。彼女はそれを原子核の殻構造で説明しました。
また,ドイツのJ.イェンゼンは,安定な原子核となる核子の数をボーアが提唱した魔法数(magic number)で説明しました。彼は,元素の周期律における不活性ガス(周期表18族)のように,陽子や中性子の数が魔法数である場合に核の安定性が増大することを発見したのです。ゲッパート・メイヤーとイェンゼンは「原子核の殻構造に関する研究」で1963年のノーベル物理学賞を受けました。

1955年,アメリカの物理学者J.ホイーラーは,103番よりも原子番号が大きい超重元素の存在可能性を指摘しました。核の殻モデルの解明に伴って超重元素の安定性が増す領域が提案されると,閉殻の状態の原子核は安定性が高く,核の崩壊や分裂が起きにくくなると考えられるようになりました。
現在,分かっている魔法数は2,8,20,28,50,82,126の七つで,陽子数がこれらのうちのどれかである元素は,その周辺の元素に比べて多くの安定同位体を有し,中性子の場合は同中性子体についても同様です。とりわけ,次に挙げた核種のように陽子数と中性子数が共に魔法数である場合(二重魔法数),原子核は特に安定です。

00He(陽子数2,中性子数2)
16O(陽子数8,中性子数8)
40Ca(陽子数20,中性子数20)
48Ca(陽子数20,中性子数28)
208Pb(陽子数82,中性子数126)

1965年,「安定の島」(Island of stability)の考え方がアメリカのG.シーボーグによって提唱されると超重元素の合成が本格化し,実験の成果をもとに安定の島の正確な位置が予測されました。(⇒シーボーグについてはココをクリック)
さらに,中性子数184の場合も閉殻になると考えられ,それに近い114番元素フレロビウムの同位体(298Fl,陽子数114,中性子数184)などの付近に安定化の中心があると考えられています。世界の核科学研究者は,より大きくより安定な元素をつくり出そうとしています。

 

参考文献
“Possibility of Obtaining Unexited Compound Nuclei of Heavy Transuranic Elements”, Maly,Ya,Doklady Akademii Nauk SSSR English Translation,165(1965)
「メイヤー,イェンゼン 原子核の殻模型入門」M.メイヤー・J.イェンゼン著,寺沢徳雄訳(三省堂,1973年)
超重元素合成研究の現状と展望,森田浩介,核データニュース,№87,56~64(2007)
「ノーベル賞受賞者人物事典 物理学賞・化学賞」東京書籍編集部編(東京書籍,2010年)
人工元素の発見史-超ウラン元素を中心にして-,若林文高,化学と教育,65,112~115(2017)
「元素創造 93~118番元素をつくった科学者たち」K.チャップマン著,渡辺 正訳(白揚社,2021年)

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園部利彦

2017年まで岐阜県の高校教諭(化学)。2019年に名古屋工業大学「科学史」,2020年に名古屋経済大学「生活の中の科学」,2022年,2023年に愛知県立大学「教養のための科学」を担当。趣味は鉱山の旅とフランス語。