ボーリウム(Bh)-原子模型の確立者ボーアの名をもつ元素

 ボーリウム(bohrium)は原子番号107の元素で,人工の放射性元素です。その名前には,デンマークの理論物理学者N.ボーア(1885~1962)に因んで当初「ニールスボーリウム」が提案されましたが,「ボーリウム」として採用されました。

北欧の国,デンマーク

デンマークの国土は,バルト海と北海にはさまれたユーラン(ユトランド)半島と周辺の島々から成り,北はスカンジナビア諸国,南はドイツと接しています。
デンマーク生まれの著名人としては,童話でおなじみの作家H.アンデルセン(オーデンセ生まれ),哲学者のS.キルケゴール(コペンハーゲン生まれ),女子プロテニス選手のC.ウォズニアキ(オーデンセ生まれ)などが挙げられます。
玩具のレゴ・ブロックもよく知られています。レゴ(LEGO)社はO.クリスチャンセン(オンブラ生まれ)が木工工房で始めた家具作りに始まり,その社名は「よく遊べ」を意味するデンマーク語(Leg godt)から1934年に付けられました。

 

 

 

 

レゴ・ブロック(1960年代の製品)

デンマークの科学者からご紹介しますと。T.ブラーエはスコーネ(現・スウェーデン)の貴族の家に生まれ,1572年にカシオペア座の超新星を発見したことやヴェン島(現・スウェーデン)に天文台を建てたことで知られています。オーフスに生まれたO.レーマーも天文学者です。彼は,パリで木星の衛星を観測中に衛星食の起きる時刻が地球と木星との距離によって異なることから,光速が有限であると考え,1776年に光速の値を推算しました。
H.エールステッドはランゲラン島で生まれました。彼は,1820年に電流が磁場をつくることの発見や,1825年にアルミナから塩化物をつくりカリウムアマルガムで還元してアルミニウムを得たことなどで知られています。(⇒アルミニウムについてはココをクリック)

 

ボーアと量子仮説

量子論の育ての親と称される理論物理学者のボーアもデンマークの人です。ボーアはコペンハーゲン大学から1911年にイギリスに留学し,キャヴェンディッシュ研究所のJ.トムソン,マンチェスター大学のE.ラザフォードのもとで原子核物理学を研究しました。そしてラザフォードの原子模型を改良し,M.プランクの量子仮説を用いて1913年にボーアの原子模型を確立しました。

19世紀末,高温物体から放射される光のスペクトルを測定すると,電磁気学や熱力学に基づく計算結果と一致しないことが指摘されました。このことについてプランクは,1900年,光のエネルギーはそれまで考えられていたように連続的ではなく,ある基本量を単位としてその整数倍である不連続な値(量子)しかとらないとすれば,計算結果の不一致は解消されると考え,量子仮説を提唱しました。しかしプランクはこのとき,量子仮説を単なる計算上の便宜的な操作として考えていました。

ボーアはラザフォードの原子モデルについて考えました。(⇒ラザフォードと原子モデルについてはココをクリック)
電磁気学によれば,荷電粒子が加速度運動を行うと電磁波(光)を放出してエネルギーを失うので,ラザフォードによる原子の有核モデルでは,核外電子は,核の周りを回転するうちに光を放ちながら回転半径を減少させ,やがては核に吸収されてしまうことになります。しかし現実にはそういうことは起こらず,原子は安定に存在します。
ここでボーアは,原子の世界に量子仮説を適用して現実の原子を説明し,それまでの物理学の常識を変えたのです。彼は,こうした着想を得た頃に奨学金の給付期限を迎え,1912年に故地のコペンハーゲンに戻ることになりました。
古典的な力学と光量子を結び付けたボーアの考え方は,原子の安定性のほかに水素原子の線スペクトルをも説明し,後の量子力学への橋渡しとなりました。こうしたボーアの原子物理学への貢献に対して,1922年にノーベル物理学賞が授与されました。

 

ボーアの人となり

ボーアは,コペンハーゲン大学で1916年に教授となり,研究所の開設を希望しました。これを受けて1921年に理論物理研究所(現・ニールス・ボーア研究所)として設立されました。諸外国から多くの物理学者が招かれ,1920年代から1930年代にかけて原子物理学や量子物理学の研究の中心となって〝コペンハーゲン学派〟が形成されました。

 

 

 

ニールス・ボーア研究所
出典:Thueによる”The Niels Bohr Institute at University of Copenhagen.”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)

A.アインシュタインは,不確定性原理に反対する立場からM.ボルンに宛てた手紙にDer Alte würfelt nicht.(神は賽子さいころを振らない)と書きました。アインシュタインは世の中の物事には法則性があり,全ての物事はその法則性に則って動くと考えていたため,こう反論したのです。このときボーアがEinstein,schreiben Sie Gott nicht vor,was er zu tun hat.(アインシュタインよ,神が何をなさるかを貴方が語るなかれ)と反論したのは名言とされます。

ボーアは社交的な性格で,第二次大戦下では,研究所を主宰する傍らで亡命知識人援助委員会を組織し,ファシズムから逃れてきた多くの科学者をアメリカやイギリスに送る地下組織の役割も果たしました。しかし侵略を続けるナチスがデンマークを併合する政策を掲げると,ボーアはスウェーデンに避難し,大戦の最後の2年間はイギリスとアメリカで過ごしました。ボーアは核兵器による武装の拡大を憂慮し,自身はマンハッタン計画の技術面に携わることはせず,西側諸国と旧・ソ連を含めた核兵器の国際管理体制構築に尽力しました。
ボーアの没後間もなく,生誕80周年にあたる1965年の誕生日(10月7日),研究所は現在の名称となり,1993年にはいくつかの研究所と合併しました。さらに,生誕125周年にあたる2010年にはニールス・ボーア研究所名誉メダルが創設されました。メダルには思慮深い面立ちのボーアが描かれています。

 

 

 

 

ニールス・ボーア研究所名誉メダル
出典:Sigismundapoによる”Created by Sculptor Rikke Raben for Niels Bohr Institute Photo: Niels Bohr Institute/ Ola Jonsen”ライセンスはCC BY-SA 4.0 DEED(WIKIMEDIA COMMONSより)

ボーアという姓は4世紀のキリスト教の聖人リボリウス(Liborius)の名前を短縮したものとする説があります。リボリウスはフランスの司教で,9世紀にドイツの司教が布教にあたってリボリウスの聖骸せいがいを受けたとされます。リボリウスという名前は「自由民」を意味し,英語の自由(liberty)などの語が派生しました。
時を経て20世紀,ボーアが迫害から逃れる科学者たちの亡命を手助けし,彼らの自由を保護したことは,その名前に符合する史実とも言えます。

 

ボーリウムの合成とその性質

1976年,旧・ソ連のY.オガネシアンら合同原子核研究所のチームは,ビスマスの同位体(209Bi)にクロムの同位体(54Cr),鉛の同位体(208Pb)にマンガンの同位体(55Mn)をそれぞれ衝突させる実験を行い,107番元素と105番元素の同位体核種をそれぞれ得たと報告しました。しかし,これらの結果は証拠が不十分であると結論付けられました。

次いで1981年,ドイツ・ダルムシュタットの重イオン研究所(GSI)の研究チームは,ビスマスの同位体(209Bi)に加速したクロムの同位体(54Cr)のイオンを衝突させ,107番元素(ウンニルセプチウム,Uns)の原子(質量数262)を5個つくり出すことに成功しました。

209Bi+54Cr→262Uns+

 1992年,GSIの研究チームは,こうして得られた107番元素に,ボーアを称えてニールスボーリウム(元素記号はNs)という名前を与えることを提案しました。一方,旧・ソ連の研究チームは,同じ名前を105番元素(ウンニルペンチウム,Unp)に与えることを当初提案しました。

 

 

 

 

 

 

ボーアモデルで表されたボーリウム原子
出典:Ahazard.sciencewriterによる”enhanced Bohr model with subshells”ライセンスはCC BY-SA 4.0 DEED(WIKIMEDIA COMMONSより)

1994年,国際純正・応用化学連合(IUPAC)は,元素名に科学者の完全な名前(フルネーム)を使用した前例が無いことから,107番元素の名称をボーリウム(元素記号はBh)とすることを勧告しました。
ところが,「ボーリウム」という名前はホウ素(boron)に似ていることに加えて,ホウ素とボーリウムのオキソアニオン(酸素酸の陰イオン)の英語表記がホウ酸イオン(BO)はborate,ボーリウム酸イオン(BhO)はbohrateであり,しかも発音がどちらも「ボーレイト」になることから,元素の発見者らはボーリウムという案に反対しました。しかし,1997年にボーリウムに決まり,オキソアニオンに関する問題もそのままになりました。

ボーリウムの同位体核種は全て放射性で,最も長寿命の同位体は270Bh(半減期は約61秒)です。化学的性質は充分には解っていませんが,7族元素のマンガン(25Mn),テクネチウム(43Tc),レニウム(75Re)に似ていると考えられました。
ボーリウムも7族元素のように酸化数+Ⅶの化合物が安定であると予想され,過マンガン酸塩(MMnO),過テウネチウム酸塩(MTcO),過レニウム酸塩(MReO)と類似の過ボーリウム酸塩(MBhO)が得られやすいのではないかと予想されました。また,テクネチウムとレニウムが揮発性酸化物(TcO,ReO)をつくることから,ボーリウムも同様の揮発性酸化物(BhO)やそれが水に溶けて生じる過ボーリウム酸イオン(BhO)をつくると考えられました。
さらに,テクネチウムとレニウムは酸化物の塩素化によりオキシ塩化物(TcOCl,ReOCl)を生じることから,オキシ塩化ボーリウム(BhOCl)も合成されるはずと考えられ,2000年にはオキシ塩化ボーリウム(沸点151℃)が合成されました。

 

参考文献
「ニールス・ボーア 世界を変えた科学者」R.ムーア著,藤岡由夫訳(河出書房,1968年)
「ニールス・ボーア その友と同僚より見た生涯と業績」S.ローゼンタール著,豊田利幸訳(岩波書店,1970年)
「ノーベル賞講演 物理学・第3巻」中村誠太郎・小沼通二編(講談社,1980年)
「物理学者たちの20世紀 ボーア、アインシュタイン、オッペンハイマーの思い出」A.パイス著,杉山滋郎・伊藤伸子訳(朝日新聞社,2004年)
「物理学天才列伝㊦ プランク、ボーアからキュリー、ホーキングまで」W.クロッパー著,水谷 淳訳(講談社,2009年)
「元素118の新知識」桜井 弘編(講談社,2017年)
「元素の名前辞典」江頭和宏著(九州大学出版会,2017年)
「元素創造 93~118番元素をつくった科学者たち」K.チャップマン著,渡辺 正訳(白揚社,2021年)

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園部利彦

2017年まで岐阜県の高校教諭(化学)。2019年に名古屋工業大学「科学史」,2020年に名古屋経済大学「生活の中の科学」,2022年,2023年に愛知県立大学「教養のための科学」を担当。趣味は鉱山の旅とフランス語。