プロメチウム(Pm)-ギリシア神話の神の名をもつ元素

 ランタノイドのうち原子番号61の元素はプロメチウムで,その名前は人類に火を伝えたとされるギリシア神話のプロメテウスから付けられました。プロメチウムには安定同位体が存在せず,全ての同位体が放射性で,単体は銀白色の金属(25℃での密度7.2g/㎤,融点1168℃,沸点約2727℃)です。

61番元素の存在と探索

稀土類元素の分離は19世紀を通して難題中の難題であり続け,稀土類元素の探索は100年間以上にわたりました。しかし,それでも61番元素は空白のまま取り残されていました。ようやくあと一つ,とは今だから言えることであり,当時は61番元素が見付かれば全てが揃うのか,あるいは更に他の未知元素が存在するのかさえ分からない状況でした。

1902年,チェコの化学者B.ブラウナーは,ネオジム(60Nd)とサマリウム(62Sm)の原子量の差が当時知られていたランタノイド系列の中で最も大きいことから,両者の中間に未発見元素がある可能性を指摘しました。ブラウナーは周期表の研究者でもあり,稀土類元素を周期表中で一つにまとめて配置した初期の一人です。
次いで1913年,イギリスの物理学者H.モーズリーは,原子番号が原子核中の正電荷すなわち陽子数に対応していることを明らかにし,周期表でそれまで原子量順に配列されていた元素が原子番号順に再配列されました。このとき,後にテクネチウム(Tc)と判る43番元素などと共に,原子番号61の未知元素も,その存在が明確になったのです。
モーズリーとは独立に,ドイツの化学者R.マイヤーは,稀土類元素の原子量について,その差の小さい二つの元素が組を形成しているようであるとの考察から,ネオジムには組の相手が無いことを指摘しました。(下記の原子量は1914年当時のものです)

 多くの科学者が61番の空所を探究し,それぞれに発見を主張しては否定されていく中で,アメリカのJ.ハリスとB.ホプキンスは,1911年からモナズ石を原料として既知元素の化合物を順次分離し,ネオジムとサマリウムの間に濃縮される未知成分の分光分析の結果から,1926年4月,新元素を単離したとしてイリニウム(Illinium,元素記号Il)と命名しました。このときホプキンスは,61番元素がそれまで発見されなかった理由として,存在量が少ないことと,ネオジム,サマリウムの化合物がイリニウムの存在を分離操作及び分光分析においてマスク(隠蔽)することなどを挙げています。

ルテチウム(71Lu)をG.ユルバン,ヴェルスバッハ(C.アウエル)とは独立に発見したC.ジェームズは,1923年にH.フォッグと共にガドリン石,ゼノタイム,モナズ石の三つの鉱物について徹底して調べ,大量のブラジル産モナズ石を入手してイリニウムの抽出を試みました。
イタリア・フィレンツェ大学のL.ローラとL.フェルナンデスもまた,1922年からブラジル産モナズ石からの抽出を行い,やはり新元素を単離したとしてフローレンチウム(Florentium,元素記号Fr)と命名しました。

 

 

 

 

モナズ石
(秋田大学鉱業博物館所蔵)

 

マッタウフの経験則

イリニウムとフローレンチウムの論争が続く一方で,61番元素は不安定ではないかとする考え方が出てきました。1925年にレニウムを発見したドイツの化学者W.ノダックは,イリニウムもフローレンチウムも未だ発見されてはいないと結論しました。

1930年代には周期表中に〝Il〟の文字だけが残る状況にありましたが,同時期には粒子加速器が考案され,中性子や人工放射能が発見されるなど,原子核研究が進展しました。オーストリアの核物理学者J.マッタウフは,既知元素の安定同位体の存在について調べ,同重体(互いに質量数が等しい核種)で原子番号が1だけ異なる二つの安定核種は存在しない,という規則性を導き出しました。
61番元素に考えられる質量数は143,145,147,149で,143Nd,145Nd,147Sm,149Smが既知であることから,マッタウフの経験則によれば,61番元素に安定同位体は期待できないことになり,それが天然の鉱物から発見されたという過去の報告には疑問符が付けられました。

サイクロトロン(粒子加速器)を使って原子どうしを衝突させる方法が開発されると,核反応による61番元素の合成が試みられました。1938年,オハイオ州立大学のM.プールとL.クィルは,143Ndに重陽子を照射し,半減期12.5時間の核種を得ました。

143Nd+H→144Il+n  144Il→144Sm+e

 同チームはここに,サイクロニウム(Cyclonium,元素記号Cy)という名前を提案しました。
その後,核分裂生成物の確認が行われましたが,大戦中は核科学はマンハッタン計画の一部として行われ,内容は厳重に秘匿されました。1945年,オーク・リッジのクリントン研究所でJ.マリンスキー,L.グレンデニンはC.コリエルの指導のもとに,酸化ネオジム(Ⅲ)への中性子の照射を行い,生成物をイオン交換樹脂によって分離しました。外部への発表は1946年4月にコリエルによって,1947年9月にはマリンスキーとグレンデニンによって行われました。1948年には同研究所でウラン原子炉からの核分裂生成物からもミリグラム量で61番元素が確認されました。

 

プロメテウスの神話とプロメテウス像

新元素の名前は,コリエルの娘の発案をもとに,マリンスキーとグレンデニンが,プロメテウスの最後の一字を変えたプロメテウム(Prometheum)を提案しました。この新元素が核分裂で生成したことに加えて,天上から火を盗んだ神が罰を受けた神話から,原子力開発が戦争の惨禍を生んだことへの警告の意味も込められました。
1949年に国際純正・応用化学連合(IUPAC)は他の金属元素の語尾(-ium)に合わせて元素名をプロメチウム(Promethium)とし,1963年には,ドイツのF.ワイゲルがフッ化プロメチウム(Ⅲ)(PmF)をリチウムで還元して単体の金属を得ました。

ギリシア神話でティタン神族随一の賢者とされるプロメテウス(Προμηθευς)は,「先に,前もって」の意味のπροプロと,「思慮深い」の意味のμηθευςメテウスから,〝先見の明を有する者〟という意味です。
神話によれば,ティタン神族がゼウスを長とするオリンポス神族と覇権を争ったとき,プロメテウスは,オリンポス神族が支配権を手にすることを予見し,オリンポス神族に加担して必勝の策を教え,勝利に貢献しました。

ある時,神々と人間たちとの間で犠牲獣の分け前を決める際,プロメテウスは,骨を脂肪で包んでおいしく見せ,肉と内臓は胃袋に詰めてまずそうに見せかけました。ゼウスは偽装にだまされて前者を選び,両者は争いになりました。
ゼウスは,プロメテウスが擁護する人間たちに怒りを向かわせ,人間たちから火を奪いました。人間は火を使う調理ができなくなり,夜には暗闇を恐れなければならなくなりました。そこでプロメテウスは,天上の火を大茴香オオウイキョウ草の茎の中に隠して地上にもたらし,人間が生きていく上で必要な知恵と技術も教えたのです。
いよいよ怒り狂ったゼウスは,プロメテウスをコーカサスの岩山に鎖でつなぎ,大鷲に肝臓を食わせました。不死身のプロメテウスは肝臓を夜のうちに再生させますが,昼になると大鷲が来てついばみ,プロメテウスの苦痛は毎日続きます。この苦行はヘラクレスが大鷲を射落としてようやく終わったのです。

 

 

 

プロメテウスの銅像
出典:bryan…による”PROMETHEUS”ライセンスはCC BY-SA 2.0 DEED(WIKIMEDIA COMMONSより)

写真のプロメテウス像は,1988(昭和63)年に新日本石油(現・JX日鉱日石ホールディングス)の創立百年を記念し,エネルギー供給の安定を願って造られました。原型の制作者は彫刻家の富永直樹で,当初は西新橋交差点の新日本石油ビル前に建てられました。その後,新日鉄ビル前(大手町2)を経て,現在は大手門タワーJXビル内(大手町1)にあります。

 

ラジウムに代わる蓄光材料

蓄光材料は,光や電磁波のエネルギーを物質内に蓄え,光や電磁波の照射を止めた後も発光する性質をもちます。初期の蓄光材料は,硫化亜鉛(ZnS)を主体とする顔料に励起源としてラジウム化合物を添加したもので,夜光時計の針・文字盤,夜間や停電時の避難経路標示などに使われ,更には暗い所であやしく光る珍しさから様々な商品にもなりました。

 

 

 

 

 

 

夜光時計の雑誌広告(1921年)
出典:”Undark (Radium Girls) advertisement”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)

ところが,アメリカの時計工場で蓄光材料の塗布作業に従事した女性労働者に,放射線被曝による症状が多数みられるようになりました。彼女たちは「ラジウム・ガールズ」と呼ばれ,1920年代初頭から社会問題化しました。そこで,ラジウム化合物に代わる励起源として,1960年頃から低エネルギーのβ線を出すプロメチウム化合物が使われるようになりました。
その後,ユウロピウムなどの稀土類元素を添加することで蓄光性を示すアルミン酸ストロンチウム(SrAlO)など,放射性物質不使用で長時間にわたり高い残光輝度を維持する蓄光材料が開発されると,放射性元素を励起源として添加した蓄光材料は使われなくなりました。

 

参考文献
Weigel, F.,”Darstellung von metallischem Promethium”,Angewandte Chemie,75(10): 451(1963)
希土類元素の数-希土類元素の探求(8),奥野久輝,現代化学・1974年1月(東京化学同人)
“イリニウム”の発見-希土類元素の探求(11),奥野久輝,現代化学・1974年6月(東京化学同人)
Sealed Paper-フローレンチウム,奥野久輝,現代化学・1974年7月(東京化学同人)
61番元素は存在するか-希土類元素の探求(13),奥野久輝,現代化学・1974年8月(東京化学同人)
探求の行き詰まりと新しい局面-希土類元素の探求(14),奥野久輝,現代化学・1974年9月(東京化学同人)
61番元素の探求-希土類元素の探求(16),奥野久輝,現代化学・1974年12月(東京化学同人)
「周期系の歴史 下巻-個々の問題とその解決」J.スプロンセン著,島原健三訳(三共出版,1978年)
「元素発見の歴史3」M.ウィークス・H.レスター著,大沼正則監訳(朝倉書店,1990年)
「独-日-英 科学用語語源辞典 ギリシア語篇」大槻真一郎編著(同学社,1997年)
「東京の銅像を歩く」木下直之監修(祥伝社,2011年)
「元素の名前辞典」江頭和宏著(九州大学出版会,2017年)

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園部利彦

2017年まで岐阜県の高校教諭(化学)。2019年に名古屋工業大学「科学史」,2020年に名古屋経済大学「生活の中の科学」,2022年,2023年に愛知県立大学「教養のための科学」を担当。趣味は鉱山の旅とフランス語。