ルテチウムは銀白色の金属(25℃での密度9.8g/㎤,融点1663℃,沸点3395℃)で原子番号71,周期表の中ではランタノイド系列の最後尾に位置します。ルテチウムをそれぞれ独立に発見したフランスのG.ユルバン,オーストリアのヴェルスバッハ(C.アウエル),アメリカのC.ジェームズの三人は,20世紀初期における稀土類研究の中心的な存在でした。 |
稀土類化学の昏冥
稀土類元素は,性質が互いによく似ていて,鉱物中に密接に関連し合って産出することが多いので,それらの分離には多数の化学者の努力と叡知をもってしても100年以上に及ぶ長い時間を要しました。ルテチウムはその最終盤に単離された元素です。稀土類元素が続々と発見された19世紀でしたが,その一方で当時の稀土類化学は昏冥の状況にありました。確実に単一かつ純粋に得られていた元素はランタン(57La),セリウム(58Ce)など少数にとどまっていました。
次々に分離され,その時には単一とみられた元素が,果たして最終的な元素であるかについて,化学者といえども明断することができず,更には新発見として名前まで付けられた誤発見元素でも,当時は決定的な否定の証明が不充分な場合もありました。
クルックス管の発見で知られるイギリスのW.クルックスは,ある分離方法で化合物が分離されたとしても,別の方法を用いれば異なる成分に分割されるかもしれないのではないかという懐疑的な考えさえ示しています。クルックスはまた,稀土類元素とされているものの中には,真の元素ではなく,より簡単な化学種である〝メタ元素〟から構成されているものがあるとしても不合理ではない,という独創的な考え方をもちました。
ルテチウムの発見と命名
ルテチウムは,1907年,ユルバン,ヴェルスバッハ,ジェームズによってそれぞれ独立に発見されました。この三人は,スイスの化学者J.マリニャクが1878年にガドリン石から得た二つの酸化物のうち,無色の方のイッテルビアからルテチウムを発見したのです。
ユルバンは,1904年頃からゼノタイムに含まれる成分の研究を始めました。イッテルビアの分離では,硝酸塩の分別結晶を吸収スペクトルを測定しながら4000回余り繰り返しました。イッテルビアを二つの成分に分割する次の段階では,吸収スペクトルと磁化率を調べながら,分別結晶を15000回余りも繰り返しました。そして塩基性の小さい方をルテシア(Lutecia),他方をマリニャクの功績に敬意を表してネオイッテルビア(Neoytterbia)と呼びました。ネオイッテルビアはイッテルビウム(70Yb)の酸化物です。(⇒イッテルビウムについてはココをクリック)
ゼノタイム
(秋田大学鉱業博物館所蔵)
71番元素の名前のもとになったのはパリの古称ルテチア(Lutetia)です。紀元前3世紀頃,シテ島を中心としたセーヌ川の川岸にパリシイ族が定住しました。パリシイ族はローマ人がこの地に来る前のケルト系先住民族で,彼らが住まうこの地はローマ帝国の支配下ではLutetia Parisiorum(パリシイ族の沼地)と呼ばれていました。
しかしローマが衰退すると,セーヌ川左岸の市街地は放棄されてシテ島のみを範囲とする城塞都市になり,この頃から「パリ」と呼ばれるようになりました。カルチェラタンには古代ローマ時代の遺跡として浴場跡(中世美術館横)やリュテス闘技場(Arènes de Lutèce)などがあり,1910年創業のオテル・ルテティア(L’Hotel Lutetia)は左岸サンジェルマン・デ・プレ地区(パリ6区)のランドマークでもあります。
パリの古地図(16世紀)
出典:”Lutetia vulgo Paris Anno 1575 / Plan de Paris”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)
元素名に戻り,もう少し詳しく言えば,パリの古称の「ルテチア」はラテン語で,当初の元素名はそのフランス語であるリュテス(Lutèce)によったため,ルテシウム(Lutecium)でした。しかし1949年になってラテン語に従うことになり,ルテチウム(Lutetium)になりました。
ユルバンとほぼ同時期にヴェルスバッハもイッテルビアから二つの酸化物を得ました。ヴェルスバッハは,それらの成分元素に,牡牛座のα星(首星)アルデバランからアルデバラニウム(Aldebaranium,元素記号はAd)と,カシオペア座からカシオペイウム(Cassiopeium,後にカシオピウム(Cassiopium)に変更)を提案しました。アルデバラニウムの由来については不明ですが,カシオペイウムの方は,夜空にW字形に並ぶカシオペア座の星々にヴェルスバッハ(Welsbach)の頭文字を関連付けたとされます。
1911年に開かれた国際原子量委員会ではルテチウムが採用されましたが,カシオペイウムとその元素記号Cpは,ドイツ語圏で1949年まで使われていました。
星図中のカシオペア座
出典:Torsten Bronger・Kxxによる”Cassiopeia constellation map”ライセンスはCC BY-SA 3.0(WIKIMEDIA COMMONSより)
ジェームズも稀土類鉱物の構成成分について研究しており,彼は分離精製法の改良(臭素酸塩を用いる方法),原子量の決定などを行っていました。そしてルテチウムを発見しましたが,彼はユルバンの発表を受けて自身の研究を公表を取りやめました。ジェームズの実験は大規模で,彼は当時として最も多くのルテチウム試料を持っていました。
ジェームズは,生活費は別として,自分の収入を稀土類鉱物の収集と趣味の園芸に半分ずつ充てたと言われたほどで,彼の鉱物標本収集と温室は共に見事なものでした。
ルテチウムの用途
ルテチウムは現在,稀土類元素のリン酸塩鉱物からイオン交換膜法を用いて分離されています。
ルテチウムの用途の一つにシンチレーションカメラがあります。シンチレーションとは,放射線のエネルギーを吸収した蛍光体の内部で励起や電離が起き,吸収エネルギーの一部が可視光や紫外線として発せられる現象です。例えば医療用では,人体に投与した放射性元素からのγ線を蛍光体が受容して発する光から,放射性元素の体内分布の位置と強度を測定して画像診断が行われます。こうした蛍光体には無機物質や有機物がありますが,ケイ酸ルテチウム(Lu2SiO5)にセリウム(Ce)を添加した蛍光体もその一つです。
ルテチウムの同位体30種類余のうち,主なものは,安定同位体の175Lu(天然存在比97.4%)と放射性同位体の176Lu(天然存在比2.5%,半減期約380億年)です。176Luはβ崩壊を繰り返してハフニウムの同位体176Hfへと壊変するので,太陽系形成時の176Luと176Hfの比率を前提条件として,地殻,古い火成岩,月の石,惑星や隕石などの年代を推定することができます。これは「ルテチウム・ハフニウム法」と呼ばれます。
元素記号Cpが提案されたもう一つの元素・コペルニシウム
ルテチウムの発見時にはカシオペイウムという名前と元素記号Cpが提案されましたが,Cpは,112番元素がコペルニシウム(Copernicium)と名付けられたときにも提案されました。
コペルニシウム(112Cn)は周期表で水銀の下段に位置するので「エカ水銀」とも呼ばれていましたが,国際純正・応用化学連合(IUPAC)の暫定名ではウンウンビウム(Ununbium,略号はUub)でした。
1996年2月,ドイツ・ダルムシュタットの重イオン研究所(GSI)で,亜鉛の原子核を重イオン加速器で鉛の原子核に衝突させ,278Uubを経てできた277Uub(半減期約1.1㍉秒)が確認されました。
70Zn+208Pb→ [278Uub] →277Uub+1n
次いで2000年と2004年にロシアのドゥブナ合同原子核研究所,2007年には日本の理化学研究所で追試に成功し,IUPACによって2009年に新元素と認められました。GSIは,宇宙観・世界観を変えたポーランドのN.コペルニクスに敬意を表してコペルニシウムという名称を提案し,コペルニクスの誕生日である2010年2月19日にIUPACから発表されました。
コペルニクスは,ポーランド出身の天文学者で,晩年に『天球の回転について』を著し,天体の運行に関してそれまでの地球中心説(天動説)を転換し,太陽中心説(地動説)を唱えました。彼の名前は,月面の「嵐の大洋」の東にある最も目立つクレーターにも付けられました。
コペルニクスクレーター(写真中央)
(2020年2月3日,観測地・エストニア)
出典:Nielanderによる”Copernicus crater TAK”ライセンスはCC0 1.0(WIKIMEDIA COMMONSより)
112番元素の名称としてコペルニシウムが提案されたとき,元素記号にはCpが提案されました。しかし,同じ記号が1949年までドイツ語圏で使用されていたことと,有機化学ではシクロペンタジエニル(cyclopentadienyl)の略号として使われることもあり,重複を避けてCnになりました。
参考文献
希土類元素の探求(6),奥野久輝,現代化学・1972年6月(東京化学同人)
希土類元素の探求(7),奥野久輝,現代化学・1972年7月(東京化学同人)
「元素発見の歴史3」M.ウィークス・H.レスター著,大沼正則監訳(朝倉書店,1990年)
「楽しい鉱物図鑑②」堀 秀道著(草思社,2003年)
「元素の名前辞典」江頭和宏著(九州大学出版会,2017年)
「元素118の新知識」桜井 弘編(講談社,2017年)
園部利彦
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