ガドリニウム(Gd)-光磁気記録や素粒子研究で活躍する元素

 ガドリニウムの原子番号は64で,ランタノイド系列の中央に位置します。ガドリニウムの単体は銀白色の金属(25℃での密度7.9g/㎤,融点1313℃,沸点3266℃)で,水にゆっくりと溶け,酸には容易に溶けます。安定な原子価は+Ⅲ価です。

サマルスキー石から分離された元素

フィンランドの化学者・鉱物学者J.ガドリンは,フィンランドの化学の基礎を築いた人です。フィンランドは19世紀初めまでスウェーデンに帰属しており,その時代,ガドリンの生地せいちトゥルク(Turku)はスウェーデン語でオーボ(Åbo)と呼ばれていました。オーボはフィンランドで最古の町で,1812年にヘルシンキに遷都されるまでは中世以来の首都でした。しかし1827年には大火に見舞われ,市域の四分の三が焼失しました。

ガドリンの父はオーボ大学の物理学教授でした。母方の祖父も物理学教授で,博物学者C.リンネの友人でした。ガドリンは,オーボ大学で数学を学んだ後,T.ベリマンに化学を学びました。学友の中には,酸素の発見で知られるC.シェーレがいました。ベリマンの死(1784年)の翌年,ガドリンはオーボ大学に戻りました。
ガドリンが化学の研究の道に入ったのは,A.ラヴォアジエの新燃焼理論に基づく新しい化学と,燃素説以来の旧い化学の論争が盛んに行われた時代でした。ガドリンも,はじめのうちは燃素説の立場をとっていましたが,やがて新しい化学の立場をとり,北欧で最初となる新しい化学の教科書を著しました。大火で大学も彼の鉱物標本も焼失してからは,大学はヘルシンキに移り,ガドリンは田舎町に引っ越して晩年を過ごしました。

1792年,ガドリンは,イッテルビーにある採石場で発見された黒い鉱石を調べ,未知の酸化物が約4割も含まれるという結果を得ました。その黒い鉱石は1800年にガドリン石(Gadolinite)と名付けられました。
フランスの化学者P.ボアボードランは,M.ドラフォンテーヌと共に,それまで純物質であると考えられてきた酸化物ジジミア(図中で下線のあるジジミア)を分光分析したところ,産地により異なるスペクトルが得られることが明らかになりました。ジジミアが単一の物質ではないと考えたボアボードランは,1879年,実験を行って調べ直したところ,新たな酸化物が見出され,彼はそれをサマリア(図中で下線のあるサマリア)と名付けました。
これを受けてスイスの化学者J.マリニャックはサマルスキー石(Samarskite)を分析し,1880年,未知の成分を発見して暫定的にYaと名付けました。ボアボードランも1886年にサマリアから新たな酸化物を得,これがYaなる物質と同一であることを認め,ガドリンの功績を称えて元素名をガドリニウムと名付けたのです。(⇒サマリウムについてもお読みください,ココをクリック)

 

 

 

 

 

 

サマルスキー石(秋田大学鉱業博物館所蔵)

ジジミアは,1841年にランタナ(Laの酸化物)から分離されて以降,実に40年余の間,単一物質であると考えられてきたことになります。マリニャックにとっては,1878年のイッテルビウム(70Yb)の発見に続く更なる発見となりました。

ガドリニウムは人名に因む元素名が付けられた最初の例です。ガドリニウムの次に人名が元素名になった例は1944年に合成された96番元素のキュリウム(96Cm)で,アクチノイド系列でガドリニウムと同じ位置にあたることから人名が用いられました。

ガドリニウムは稀土類鉱物にはたいてい含まれ,地殻中の存在割合(クラーク数)は6×10-4%(45位)で,銀(69位),白金(74位),金(75位)よりも多いです。20世紀半ばにはイオン交換による分離法が開発され,分離が容易になりました。以下には,ガドリニウムの二つの用途をご紹介します。

 

光磁気ディスク(MO)とガドリニウム

光磁気ディスク(Magneto-Optical Disk)は,レーザー光と磁場を用いて磁気記録と再生を行う記録媒体の一つで,1980年代から1990年代にかけて磁気テープに代わる記録媒体でした。具体的には,1985年に最初の光磁気ディスク(3.5㌅,5.25㌅など)が発売され,MO(MOディスク)と呼ばれました。

 

 

 

光磁気ディスク(MO)の市販品例
出典:Ocrhoによる”MO OLYMPUS OL-D640”ライセンスはPD(WIKIMEDIA COMMONSより)

光磁気記録の研究は,1957年にアメリカでマンガン系永久磁石のMnBiの膜上に熱ペンによる記録を行い,その部分の磁区がファラデー効果(=物質に,磁場に平行な方向に直線偏光を透過させたとき偏光面が回転する現象,「磁気旋光」とも)により観察されたのが始まりとされます。翌年には,電子ビームを用いてキュリー点(=強磁性が失われる温度)以上に加熱することで微小な磁区が記録されるようになりました。

その一方で1965年,単結晶磁性ガーネット(GdFeO12)を用い,ある温度付近で保磁力(=磁化された磁性体を非磁化状態に戻すために必要な反対向きの外部磁場の強さ)が減少することを利用した記録方法が考案されました。このような特性は,1970年代にアモルファス磁性材料のGdCoやTbFeなどでも見出され,1980年には半導体レーザーを光源とし,GdTbFeを記録媒体として,高密度の記録再生方法として開発されました。

光磁気記録による記録/消去の方法には上述のキュリー点法と保磁力変化法があり,両者の共通点は磁性体の熱磁気効果が利用されていることです。
MOの長所は,記録時のレーザー出力がCDやDVDに比べて小さいために媒体の損傷が少ないこと,加熱による磁気の影響を利用しているため磁石を近付けただけでは記録内容に影響を受けないこと,DVD-Rなどとは異なり紫外線でほとんど劣化しないこと,フロッピーディスク(FD)などとは異なりヘッドが非接触で接触部の摩耗がないこと,などが挙げられます。しかし,MOは大容量化でDVD,ブルーレイディスク(BD),フラッシュメモリ,ハードディスクドライブ(HDD)に遅れをとり,それらに代替されていきました。

 

ニュートリノを捉えるガドリニウム

奥飛驒の山中,旧・神岡鉱山(岐阜県飛驒市神岡町)の坑道内の地下1000mに東京大学宇宙線研究所・神岡宇宙素粒子研究施設の観測装置スーパーカミオカンデ(SK)があります。その前身であるカミオカンデは,大統一理論が予言する陽子崩壊を実証するための実験施設で,1983(昭和58)年に完成しました。水槽に超純水3000㌧を蓄え,その内壁に948本の光電子増倍管を設置した水チェレンコフ宇宙素粒子観測装置でした。光の検出器の数をカミオカンデの70倍に増やした第二世代の観測装置がSKです。

カミオカンデは,1987年2月23日7時35分35秒(世界標準時,日本時間では同日16時35分35秒)からの13秒間,世界で初めて超新星爆発によるニュートリノを11個捉えました。銀河に近い大マゼラン星雲で383年ぶりに起きた超新星「SN1987A」からのニュートリノの一部でした。
宇宙ニュートリノの検出では,小柴昌俊が2002(平成14)年にノーベル物理学賞を受賞しました。カミオカンデ(KAMIOKANDE)の「NDE」について,同氏は,ノーベル賞受賞記念講演『ニュートリノ天文物理学の誕生』で,「初めは核子崩壊実験(Nucleon Decay Experiment)の頭文字でしたが,私たちがニュートリノの検出ばかりしているので,最近はニュートリノ検出実験(Neutrino Detection Experiment)の略だと言われています」と述べています。

 

 

 

 

電子増倍
(道の駅・スカイドーム神岡,平成27年9月・撮影)

超新星爆発は,太陽より重い恒星がその一生を終える瞬間で,年老いた恒星は膨張した末に不安定になって爆発します。爆発時に放出されるエネルギーの約99%はニュートリノとして散逸し,星は残りの約1%のエネルギーで吹き飛ばされて形を失います。宇宙全体では,こうした星の終末が各所で起きており,超新星背景ニュートリノが漂っているのです。
観測装置に飛び込んだニュートリノは水中で陽子(水素原子)と衝突し,陽子は中性子と陽電子に分かれ,陽電子によって生じた光(チェレンコフ光)が光電子増倍管で検知されます。しかし,宇宙からは様々な粒子(宇宙線)が地球に届いており,観測装置に捉えられた信号には,他の宇宙線によるものがノイズとして多く含まれています。

SKの水槽にガドリニウムを添加しておくと,ガドリニウムは中性子を捕獲してγガンマ線を出し,陽電子による光とγ線による光がほぼ同時に発生するので,ノイズに隠された超新星背景ニュートリノによる信号を識別することができます。そこで,SKの超純水(5万㌧)に硫酸ガドリニウム(Ⅲ)(Gd(SO))を溶かし(濃度0.1%)て稼働させるのがスーパーカミオカンデ-ガドリニウム(SK-Gd)プロジェクトです。

稀土類の元素群から分離されたガドリニウム。そのガドリニウムがノイズから超新星背景ニュートリノを選び出す。その共通性が興味深いところです。

 

 

 

 

 

 

 

小柴昌俊氏のサイン
(道の駅・スカイドーム神岡,平成27年9月・撮影)

 

参考文献
光磁気記録媒体の作製とその特性,田中富士雄,実務表面技術,Vol.33,№11(1986)
「超新星1987Aに挑む 壮烈な星の最期をさぐる」野本陽代著(講談社,1989年)
「元素発見の歴史3」M.ウィークス・H.レスター著,大沼正則監訳(朝倉書店,1990年)
「物理屋になりたかったんだよ ノーベル物理学賞への軌跡」小柴昌俊著(朝日新聞社,2002年)
「小柴昌俊先生ノーベル賞受賞記念 ニュートリノ」田賀井篤平編(東京大学総合研究博物館,2003年)
「ノーベル賞受賞者人物事典 物理学賞・化学賞」東京書籍編集部編(東京書籍,2010年)
ガドリニウム添加に向け改修工事を進めるスーパーカミオカンデ-12年ぶりのタンクオープン,森山茂栄・関谷洋之・M.ヴェイギンズ,Kavli IPMU News,44,36(2018)

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園部利彦

2017年まで岐阜県の高校教諭(化学)。2019年に名古屋工業大学「科学史」,2020年に名古屋経済大学「生活の中の科学」,2022年,2023年に愛知県立大学「教養のための科学」を担当。趣味は鉱山の旅とフランス語。