バナジウム(V)~北欧の女神に由来する名前の元素

バナジウムの単体は灰色がかかった銀白色の金属です。代表的な含有鉱物は褐鉛かつえん鉱(組成はPb5(VO4)3Cl)ですが,他の金属を精製するときの副生物も原料になります。また、原油やオイルサンドにもバナジウムが含まれているので、その燃焼灰も原料として利用されます。

元素発見に至る紆余曲折うよきょくせつ

1801年、メキシコの鉱物学者A.デル・リオはメキシコ中部の鉱山で鉛を含む褐色の鉱物(褐鉛鉱)を発見し、それを分析した結果、この鉱物の質量の約15%が未知の金属であることを知りました。その反応溶液は、その少し前に発見されたクロムのように、酸化状態に応じて種々の色を呈したことから、彼は〝全ての色を有する〟という意味のパンクロミウム(panchromium)と命名しました(後に彼は、加熱または酸処理で赤色を示すことからエリスロニウム(erythronium)に変更)。

しかし、クロムを発見したフランスのL.ヴォークランの友人H.コレ・デコティルが同じ鉱物を分析し、エリスロニウムはクロムであると報告したので、デル・リオは自分の発表を撤回してしまいました。

褐鉛鉱(秋田大学鉱業博物館所蔵)

次いで1830年、スウェーデンのN.セフストレームは、鉄の低温脆性ぜいせい(低温下で金属の組織がもろくなること)の原因を調べる過程で、鉄を塩酸に溶かしたときの黒い残渣ざんさから、バナジン酸アンモニウム(Ⅴ)(NH4VO3)を得たのです。彼は、新たな元素をスカンジナビア神話における愛と美の女神バナディス(Vanadis)に因んでバナジウムと命名しました。

これと同時期にドイツのF.ヴェーラーは、デル・リオがエリスロニウムと名付けた元素がバナジウムであることを実験で確認しました。しかし彼は別の実験中にフッ化水素の中毒になったので、そのことをすぐに発表することができず、バナジウムの発見でセフストレームに先を越されてしまいました。

健康を取り戻したヴェーラーは、1831年になってエリスロニウムがバナジウムであることを発表しました。このとき、ヴェーラーの師J.ベルセリウスは、ヴェーラーへの手紙に、含蓄深いたとえ話を添えました。その要旨は次のようなものです。

ー 極北の地に住む魅力的な女神バナディス。ある日扉を叩いた訪問者ヴェーラーは、中から返事がないので帰った。数日後にまた誰かが扉を叩く。今度はセフストレーム。彼は何度も何度も扉を叩き続け、女神はついに扉を開けた。やがて二人は結婚し、バナジウムが生まれた。

ヴェーラーの押しの弱さを指摘したベルセリウス。この話には続きがあります。尿素を無機塩から合成し、有機物は非生物からは生じないとする考え方に風穴を開けたヴェーラーに対して、ベルセリウスは、「尿素の合成には10の新元素の発見を凌駕する天賦の才を要する」と弟子を激励したのです。

広範なバナジウムの用途

バナジウムの用途の大半は製鋼における添加物としてで、全体の8割以上を占めます。例えば、バナジウムを1%程度含む鋼は、炭素とバナジウムの結合によって組織が細粒化するので、靱性じんせい(粘り強さ)と強度が高くなります。ビルや橋梁の構造材に用いられる高張力鋼がその代表例です。また、タングステン(18%)・バナジウム(4%)・クロム(1%)を含む鋼は、高速度での切削でも刃先が軟化しない高速度鋼として知られています。

鋼材のほかには、化学反応の触媒としても重要です。例えば酸化バナジウム(Ⅴ)(V2O5)は、接触法による硫酸製造で、硫黄から得た二酸化硫黄(SO2)を空気で酸化して三酸化硫黄(SO3)に変換するときに用いられます。この空気酸化反応には、当初は白金が用いられましたが、それより安価な酸化バナジウム(Ⅴ)が触媒として登場して以降、広く普及しました。
上記のほかにも、バナジウムの化合物には、電子素子、蛍光体、顔料や塗料として用いられるものがあります。

ホヤの血液にも含まれている元素

ホヤ(海鞘)にはバナジウムを濃集する種類があることが知られています。1911年、ドイツの生理化学者M.ヘンツェは、イタリアのナポリ湾で採取したホヤの血球からバナジウムを検出しました。鉄を含有するヘモグロビンや銅を含有するヘモシアニンと同じく呼吸色素ではないかと考えられましたが、その後の研究で、酸素の運搬は行っていないことが分かりました。

*)ヘモシアニンは、エビ・カニ・イカ・タコ・一部の貝類などに見られ、酸素と結び付いた状態では銅イオンによる青色を呈します(酸素の無い状態では無色)。ヘモグロビンと同じく酸素を運搬する呼吸色素ですが、血球中に含まれるのではなくリンパ液に溶存する形で含まれ、酸素との結合力はヘモグロビンより弱いとされます。

ホヤ (出典:photo-ac)

ホヤを食べる国は少なく、日本のほかには韓国、フランスぐらいです。日本では主にマボヤ(マボヤ科)で、三陸地方では古くから食べられてきましたが、その他の地域では珍味の類です。その独特のえぐみと匂いは、新鮮なうちは淡いものの、ホヤの鮮度は低下が早く、時間が経つと強まります。

食通で知られたエッセイストの杉浦日向子ひなこさんは、著書『ごくらくちんみ』でホヤの醤油漬けを紹介しています。ある人の旅行土産を賞味する場面です。

「うんまい。ホヤ食べた後って、水道水すらミネラルの旨味を感じちゃうから、こんな安酒でも純米吟醸みたいになるんだよ」
「安酒で悪うござんした」
「ね、ちょっとためしてみて」
「ダメダメダメ。おっちゃんもわたしも。磯臭くって」
「そこがうんまいのに。海そのものを味わってるって感じ」

食べ物の味を言葉で伝えるのは難しいものですが、「海そのものを味わってる」とは言い得て妙。端的で正確な表現だと思います。

 

参考文献:
「元素発見の歴史2」M.ウィークス・H.レスター著,大沼正則監訳(朝倉書店,1990年)
「ごくらくちんみ」杉浦日向子著(新潮社,2004年)
「元素大百科事典」P.エングハグ著,渡辺 正監訳(朝倉書店,2008年)

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園部利彦

2017年まで岐阜県の高校教諭(化学)。2019年に名古屋工業大学「科学史」,2020年に名古屋経済大学「生活の中の科学」,2022年,2023年に愛知県立大学「教養のための科学」を担当。趣味は鉱山の旅とフランス語。