硫黄(S)~黄色いダイヤと黒いタイヤ

硫黄は、単体(自然硫黄)としてや鉱物中の硫化物(黄鉄鉱,FeS2)や硫酸塩(重晶石,BaSO4)などのほかに天然ガス中の硫化水素として産出し、石油中にも含まれます。その歴史と現在を見ていきましょう。

錬金術における硫黄

近代的な化学が成立するはるか前、四大元素とされた火・水・土・空気を含めた全ての物質は第一質料(形や性質をもたず、現実には存在しない純粋なもの)と冷・熱・乾・湿の四性質の組み合わせでできていると考えられました。

時代はそれから下り、中世の錬金術師たちは、鉱物や動植物などを用いて黄金や不老不死の妙薬をつくろうとしました。錬金術師のこうした試みが、やがて化学的操作や実験器具の基礎をとなり、物質観が徐々に形成されました。

錬金術では、多くの物質の中でとりわけ硫黄と水銀が重要とされました。それは物質として知られた硫黄や水銀ではなく、創成における原質で、第一質料に次ぐ最も基本的なものと考えられました。具体的には、硫黄は魂で、熱く、乾いていて、男性的・能動的であるのに対して、水銀は精気で、冷たく湿った生命の力であり、女性的・受動的です。そして正反対の性質をもつこれら二原質をつなぐ役目をするのが「塩」でした。硫黄・水銀・塩は錬金術の三原質と呼ばれ、これらから全ての物質がつくられると考えられました。

資源小国日本の豊かな資源

火口付近などには硫黄が露出する所があります。火山国である日本では、古くから自然硫黄の採取が行われました。『続日本紀しょくにほんぎ』の713(和銅6)年5月癸酉(11日)の項には、相模,常陸,上野こうずけ,武蔵,下野しもつけの五か国が輸納すべき調(律令制の現物納租税)は、本来は麻布あさぬのであるが、絹生産の東国への広がりを受けてあしぎぬ(太糸で織った粗製絹布)と麻布の両方を輸納すべきことと共に、相模,信濃,陸奥の各国にはいわ硫黄を輸納させたことが記されています。

17世紀から1966年まで硫黄採掘場であった 川原毛地獄の景観(秋田県湯沢市)
平成29年10月・撮影

一方、中国では9世紀に黒色火薬(硫黄,硝石,木炭粉から成る)が発明され、様々な火器が考案されて使用されましたが、火山の少ない中国では硫黄を自給することができませんでした。そこで10~13世紀に日宋貿易で日本の硫黄が中国へ輸出されたのです。

16世紀に大隅国の種子島に鉄砲が伝来すると、火薬の材料を求めて国内各地の硫黄鉱山の開発が始まりました。江戸時代には火起こしの付木つけぎ(杉や檜の薄片の一端に硫黄を塗り付けたもの)が使われるようになり、明治期には高純度の硫黄がマッチに使われるようになり、硫黄は主要輸出品の一つになりました。

産業の近代化を受けて硫黄鉱山の開発が本格化した頃の1889(明治22)年、知床硫黄山(北海道斜里郡斜里町・目梨郡羅臼町,1562m)が噴火しました。このときには、純度がほぼ100%の硫黄が海にまで流れ下り、多くの人々が硫黄の採取に殺到したといいます。

ゴム状硫黄の色:高専生による新発見

単体の硫黄は、昭和20年代の朝鮮戦争時には「黄色いダイヤ」と呼ばれたほど価格が高騰しましたが、昭和30年代になると石油の脱硫で生産されるようになり、同時期には石炭から石油へのエネルギー転換が進んで石油精製の副産物として硫黄の生産は急増し、その後国内の硫黄鉱山は全て閉山しました。

ところで、単体の硫黄には3種類の同素体(斜方・単斜・ゴム状)があり、室温では斜方硫黄が安定です。硫黄末(斜方硫黄)を熱すると、やがて融けて黄色の液体になり、これを冷やすと針状結晶(単斜硫黄)ができ、更に熱し続けるとゴム状硫黄に変化します。

普通の硫黄末でこの実験を行うと、たいていの場合、得られるゴム状硫黄は褐色です。長い間、斜方硫黄と単斜硫黄は黄色、ゴム状硫黄は褐色とされてきました。ところが2009(平成21)年に山形県の高専三年生が純度の高い硫黄からつくったゴム状硫黄は黄色であることを実験で確かめ、その後教科書の記述は修正されるに至りました。褐色の原因は不純物だったのです。

ゴムをゴムらしくしたもの

単体の硫黄は約9割が燃やされ、二酸化硫黄として硫酸の原料になります。日本では開国後すぐに硫酸が輸入され、以後硫酸は大阪造幣局で国産化され、造幣局では金属の洗浄や溶解に用いられました。その後硫酸は、ほとんどあらゆる鉱工業に不可欠な薬品の一つになりました。

硫酸原料としてのほかに、硫黄は加硫ゴムの生産に不可欠です。加硫ゴムには、興味ある逸話があります。

天然ゴムは、ゴムノキの樹液(ラテックス)に含まれるイソプレンを酸で重合させたもの(ポリイソプレン)です。天然ゴムは布の防水の目的で外套や郵袋などに使われましたが、どこにでもくっつき、暑いと融け、寒いとひび割れるので使い勝手がよくありませんでした。

自動車用タイヤ(出典:Pixabay)

アメリカのC.グッドイヤーは、こうしたゴムの性質を改良しようと試みましたが、良い結果を出すことができませんでした。万策尽きた彼はついに廃業を決意し、ある日仕事場を片付けてゴミもゴムも薬品も全て燃やしてから帰宅しました。その翌日、彼は燃え残りの中に硬化したゴムを見付けたのです。調べた結果、なんと硫黄がゴムの性質を一変させていたことが分かりました。

加硫によってポリイソプレンの鎖は硫黄原子で架橋され、弾力性と強度に富む分子になるのです。ゴムの加硫は1844年に特許化され、加硫ゴムは車両用タイヤをはじめとして様々な用途に役立つ素材となりました。

 

参考文献:
「ワイド版東洋文庫457 続日本紀1」直木孝次郎他訳注(平凡社,1999年)
「元素大百科事典」渡辺 正監訳(朝倉書店,2008年)
「錬金術 秘密の「知」の実験室」G.オグルヴィ著,藤岡啓介訳(創元社,2009年)
「元素の名前辞典」江頭和宏著(九州大学出版会,2017年)

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園部利彦

2017年まで岐阜県の高校教諭(化学)。2019年に名古屋工業大学「科学史」,2020年に名古屋経済大学「生活の中の科学」,2022年,2023年に愛知県立大学「教養のための科学」を担当。趣味は鉱山の旅とフランス語。