硫酸バリウム(BaSO4)は、X線を透過させないので、消化管のX線検査で造影剤として使われます。検査で飲むのは単体ではないのに、多くの人は「バリウムを飲む」と言います。 |
1603年、錬金術に興味をもつイタリアの靴職人V.カスカリオーロは、ある重い石を摩砕し、卵白を混ぜて塊にしてから数時間焼いたものが、日光に当ててから暗所に置くと光を放ち続けることを見出しました。その重い石はボローニャの近くで発見されたので「ボローニャ石」と呼ばれ、発光という珍しい現象は、魔女や錬金術師だけでなく多くの人々をも虜にしました。
この発光の原理は21世紀に解明されるまで謎のままでした。これは燐光で、励起電子が元の軌道に戻る際に放出されるエネルギーによる発光です。なお、光源を消すと消えるのが蛍光で、その後も続くのが燐光です。
18世紀になり、スウェーデンの化学者T.ベリマンは,長く解らなかった軟マンガン鉱の組成をC.シェーレにもちかけました。その過程でシェーレは、未知金属の土類(酸化バリウムにあたる)と硫酸塩鉱物(硫酸バリウムにあたる)を発見し、それが生石灰(酸化カルシウム)とは異なることを明らかにしました。
このときシェーレは、軟マンガン鉱に伴って産出する白い石をJ.ガーンに送って調べるように依頼しました。ガーンは、石膏や方解石に似てはいるが別の硫酸塩と思われるその石がボローニャ石であることを確認したのです。彼らは、これらの物質の密度が比較的大きいので、ギリシャ語で「重い」を意味するbarysから、硫酸バリウムを重晶石(barite)、酸化バリウムを重土(baryta)と呼びました。フランスのA.ラヴォアジェはバリタを純物質とし、彼の元素表に加えました。
重晶石(バラの花弁のように板状結晶が集まったものは”砂漠のバラ”と呼ばれます)
バリウム化合物の多様な用途
イギリスのH.デーヴィーは、1808年、バリウム塩の融解塩電解によって不完全ながらバリウムの単体を初めて単離し、バリタの語尾を金属元素を表す接尾語(-ium)に変えてバリウム (barium) と名付けました。
かつてバリウムの単体は、TVブラウン管のような真空管内に痕跡量残存する酸素や湿気などの除去に使われましたが、液晶・プラズマディスプレイ・有機LEDの普及で最近では需要が減少しました。
バリウム化合物には,次のように多彩な用途があります。
硫酸バリウム(BaSO4) … 白色顔料(リトポン)(硫酸亜鉛(ZnSO4)と共に)
硝酸バリウム (Ba(NO3)2) … 炎色反応による花火の着色剤
過酸化バリウム (BaO2) … 鉄道レールの熔接(テルミット反応)の開始剤
チタン酸バリウム (BaTiO3) … コンデンサなどの誘電体
クロム酸バリウム (BaCrO4) … 黄色顔料(バリウムイエロー)
花火(バリウムの炎色反応は黄緑色です)(出典:Pixabay)
レントゲンをX線発見に導いた「光」
19世紀後半、イギリスのW.クルックスは低圧気体中の放電の研究から「クルックス管」を発明し、陰極線が粒子から成ると考えました。これを受けてドイツのW.レントゲンは、陰極線が当たったガラス壁が緑色の蛍光を発し、別のある種の化合物でも蛍光を発することに注目しました。
レントゲンは、その蛍光をより鮮明に見ようと、実験室に入る外光を暗幕で遮り、クルックス管を紙で覆って観察しました。すると、近くにあったシアン化白金バリウム(Ba[Pt(CN)4])を塗布した紙も冷光を放ったのです。初めは覆いの隙間から陰極線が漏れたと思ったレントゲンでしたが、そうではなく、紙を透過して何かが放出されていることに思い至りました。そして夫人の右手を写真乾板の手前に置いてその蛍光を当てると、骨と指輪が撮像されたのです。
(参考:レントゲン婦人の骨と指輪のX線写真はここをクリック)
その正体が不明なことから「X線」と名付けた彼は、論文にこう書いています。
-「全て物体は(中略)このX線に対して透明である。約千頁もの書物の陰で、蛍光スクリーンは鮮やかに輝いた」、「分厚い木の固まりも同じく透明であって、2,3㎝の松の板の吸収はわずかであった」
もしも「バリウム」でなかったら…
ここからは消化管X線検査での造影剤についてです。
X線が発見されると、検査や治療など医療への応用が盛んになりました。消化器の検査法としては、内視鏡と並行して、低侵襲性の(身体への負担が少ない)X線検査技術が開発されました。
X線による撮像では、体内の異物や骨などを例外として大半の臓器はX線を透過させるので、薬剤による造影法が早くから開発されました。19世紀末には,次硝酸ビスマス(Bi5O(OH)9(NO3)4)や鉄粉を入れたゼラチンカプセルを飲み下してから胃の透視が行われました。次硝酸ビスマスは以前から下痢止め剤、鉄剤は貧血の治療薬として使われており、少量であれば安全とされましたが、ビスマスの化合物には副作用があり、使用量を増やせませんでした。
このほかの類似の方法を含めて、どれも胃の位置と概形が判る程度でしかありませんでした。空気や二酸化炭素によって胃を膨らませることも併用されるようになりましたが、やはり胃壁の形状を的確に捉えるには粥状の造影剤を飲むことが必要でした。
硫酸バリウムは1910年に初めて紹介されました。バリウム原子はビスマス原子より軽いので、造影力では劣りますが、硫酸バリウムは溶解度が極めて小さく、安定で副作用が少ないという利点がありました。以後100年以上の間、改良がなされつつも、基本的には同じ方法で検査が行われています。
一方、内視鏡の開発当初には、医師が曲芸の呑刀師に頼んで金属管を試したといいます。その後、内視鏡は劇的に進歩しましたが、もしも「バリウム」が登場しなかったら、消化管の検査は今ほど楽でなかったことは想像に難くないですね。
参考文献:
「レントゲン先生の生涯」瀬木嘉一著(新聞月報社,1965年)
「放射線医学史」舘野之男著(岩波書店,1973年)
「検査を築いた人びと」酒井シヅ,深瀬泰旦著(時空出版,1988年)
「X線の発見者 レントゲンの生涯」W.ニツスキー著,山崎岐男訳(考古堂,1989年)
「孤高の科学者 W.C.レントゲン」山崎岐男著(医療科学社,1995年)
「レントゲンとX線の発見 近代科学の扉を開いた人」青柳泰司著(恒星社厚生閣,2000年)
「元素大百科事典」渡辺 正監訳(朝倉書店,2008年)
「光る壁画」吉村 昭著(新潮社,2011年)
園部利彦
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