「グラフェン」とはなにかご存じでしょうか。10年以上前の話になりますが、2010年にグラフェンの研究に関する業績で英国の2人の科学者にノーベル物理学賞が贈られました。グラフェンは炭素の単体の一形態で、図1のように炭素原子が6角形を形成し蜂の巣の形のように平面上に並んだ構造を持っています。炭素の同素体としてはダイヤモンドや黒鉛が有名ですが、グラフェンは黒鉛の構造から1層だけ抜き取った形となっています。グラフェンの作り方としては「セロテープ法」が有名です。黒鉛にセロテープを貼り、えいやっとセロテープを引きはがすと黒鉛がうすい層にはがれ、繰り返していくと単原子の厚さのグラフェンになるというウソみたいな方法です[1]。グラフェンは強度が強く、また熱伝導率や電気伝導性も良いとされ、ガスセンサーや高速半導体など様々な応用が考えられている材料です。今回の話題は炭素ではなく金(Au)を使ってグラフェンのように単一の原子の厚さを持ったシート上の物質を作った話です。
図1 炭素原子が6角形の平面上に並んだ構造のグラフェン
さて、少数の金原子が集まってできた金ナノ粒子(大きさは数nmから数百nm)は、我々の目に見えるサイズの金の固体とは異なる、極めて有用かつ特異な性質を持っており、電子材料からコロナなどのウイルスの抗原検査キットまで広範囲に使われています。よって金原子がグラフェンのように単一層に並んだ材料ができればさらに面白い性質を持っていることが期待されます。そこで多くの研究者が金原子からなるグラフェン様の材料を作る方法を研究してきました。炭素以外でグラフェンと同様に原子1層の厚さを持つ平面材料としては、ケイ素原子からなるシリセンや、ホウ素原子からなるボロフェンが発表されていますが、金原子の場合はこれまでに金原子2層からなる平面構造を持つ物質までしか作ることができなかったのです。
しかし最近リンショーピング大学 (スウェーデン、Linköpings Universitet)の研究者は、単一原子層の金材料を初めて報告し[2]、注目されています。研究を行った柏屋駿博士(Shun Kashiwaya、同大学のAssistant Professor)らは、彼らが作った金の単一層シートをgoldene(以下ゴールデン)と名付けました。彼らは図1に示すような方法でケイ素化合物から金シートを作りました。もともとこの研究の共同研究者のLars Hultman教授らはケイ素の化合物Ti3SiC2の研究を行っていました。このケイ素化合物は層状の構造となっており、ケイ素はチタンと炭素からなる層の間に単一原子の層として存在しています(図2 左)。Hultmanらはこの化合物に高温で金を反応させるとケイ素と金が置き換わった構造の物質Ti3AuC2が得られることを以前発表しています[3]。この金化合物においては、金原子は単一原子の層を形作っています。今回この化合物に冶金の分野で古くから使われてきた「村上試薬」を作用させると金の層だけを取り出すことができ、ゴールデンが得られることを発見しました。村上試薬というのは東北帝国大学教授であった村上武次郎が、金属表面の観察のために考案した試薬で、ヘキサシアニド鉄(III)酸カリウムのアルカリ性溶液のことです。
図2 ゴールデンの作成方法。図はKashiwayaらによる参考文献2のFig.1の一部。CC BY 4.0.
・最左列はTi3SiC2の構造を表しており、下段はそれを挟み込んだ材料の積層構造。SiC基板の上にTi3SiC2材料が乗り、最上部は金の層となっている。
・2番目の列は、金を反応させるとケイ素Siが金Auに置き換わり、Ti3AuC2ができることを示している。
・その材料から金の上層を除く操作を行い、さらにエッチング液(Etchant)として村上試薬(Murakami’s Reagent)と界面活性剤(Surfactants)を作用させると2次元金原子シートのゴールデンが得られる。
実際にはこの試薬を使ってTi3AuC2から金の層のみを抽出するためには相当な苦労があったようです。村上試薬の濃度や反応時間等を変えながら繰り返し実験を行い、ついに村上試薬の濃度をかなり薄くして、かつ界面活性剤CTAB(セチルトリメチルアンモニウムブロミド)を加えて1週間から2ヶ月反応させるとゴールデンが得られることが発見されました。単一原子層であることはHR-STEM(高分解能走査透過電子顕微鏡)で確認されました。シートの一辺の長さは数nmから100nm程度であり、これは金原子が最大数十個程度並んだ大きさとなります。シートの断面の観測から、シートはほぼ平面であることがわかりましたが、端のほうは丸まっていたり、塊状になっていたりするシートもあることが分かりました。
単一原子層にしたことで、金の特性がどのように変化したかについては興味が持たれます。彼らはX線光電子スペクトルや、計算シミュレーションによってさらにその構造や性質を調べました。その結果ゴールデンの構造は図3に示すように正三角形が連なった構造であり、この平面構造が安定であることが推定されました。ただ、金に置き換わる反応が完全に進んでいないと、例えば金原子の場所にケイ素原子が残っているなどの欠陥が生じ、そのような場合は平面性が崩れることも分かり、本質的にはゴールデンは平面構造が安定だが、前述のような構造の乱れは結晶の不完全さによるものと結論付けられました。
図3 ゴールデンの平面構造のシミュレーション結果。金原子が正三角形状をなし、連なっている。図はKashiwayaらによる参考文献2のFig.4の一部。CC BY 4.0.
ゴールデンの平面内の金原子間距離は2.62Åと推定され、これは金の単体固体の時の原子間最短距離(2.88Å)よりも短くなっています。これにともなってゴールデン中の電子のエネルギーが通常の金と比べても変化していることがわかり、電子材料としての新たな応用も期待されます。グラフェンや球状のフラーレンもそうですが、よく知られている物質でも、新たな構造のものが作られると、これまでに知られていない性質を持っているということがしばしば発見されています。このことは今後まだまだ新しい材料が開発されていくということを示していて、大変興味深いですね。それではまた次回。
[1] https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/booklet-gazette/bulletin/535/open/B-2-2.html 東京大学教養学部報第535号、2024年7月1日参照
[2] S. Kashiwaya, Y. Shi, J. Lu, D. G. Sangiovanni, G. Greczynski, M. Magnuson, M. Andersson, J. Rosen, and L. Hultman, Nature Synth. 2024, 3, 744–751. https://doi.org/10.1038/s44160-024-00518-4
[3] H. Fashandi, M. Dahlqvist, J. Lu, J. Palisaitis, S. I. Simak, I. A. Abrikosov, J. Rosen, L. Hultman, M. Andersson, A. Lloyd Spetz and P. Eklund, Nature Mater, 2017, 16, 814–818. https://doi.org/10.1038/nmat4896
坪村太郎
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