フラーレンは、炭素原子のみからなる球状の空洞を有する物質の総称です。特にその中では1985年に最初に発見されたC60が有名です(図1)。以前も書きましたが、球状のドーム型建築物を作ったBuckminster Fuller(1895-1983)の名をとってフラーレンと呼ばれるようになりました。フラーレンを合成した功績でHarold Kroto(1939-2016)、Robert Curl(1933-2022)、Richard Smalley(1943-2005)の3人の科学者はノーベル化学賞を1996年に受賞しました。
図1 代表的なフラーレンであるC60の構造
C60はほぼ球形の分子で、芳香族有機化合物のように、一部の電子が全体に広がっており、そのために興味深い性質を持っています。抗酸化性を活かして化粧品などに使われているほか、太陽電池材料に、スポーツ用品にも用いられる炭素繊維複合材料の添加剤に、また内部にアルカリ金属原子を内包したものでは超伝導性材料としてなど、様々な応用が研究されてきました。C60以外にも多数のフラーレン分子やカーボンナノチューブと呼ばれるものが作られてきました。
金属原子を用いてフラーレン様の中空の球状分子(無機フラーレン)を作る試みもなされてきましたが、従来その試みはうまくいっていませんでした。例えばCorbettらは1993年にNiIn10Na39In74の組成を持つ球形分子を合成しましたが、外側の74個のインジウムInからなる球形分子の皮の中に39個のナトリウムNaからなる層があり、さらにその内側にインジウムとニッケルNiが存在するというタマネギのような構造の化合物でした[1]。その後金Au原子を使うと安定なフラーレン類似物質が作れるという予測がなされ、そのような物質を合成する研究も行われていますが、実際には金原子のみでは安定なフラーレン様物質を作ることはできず、金原子の周りに有機物を結合させることでようやく図2のようなフラーレン様分子が合成されています[2]。
図2 金原子32個の周りにリンの有機化合物をまとったフラーレン様分子。色は以下の各原子を表す。黄色(金)、橙(リン)、黒(炭素)、白(水素)、緑(塩素)。
C60の発見以来、40年近くになって、ついに最近無機フラーレンと呼べるものが中国の化学者によって合成されました[3]。この新化合物の構造は結晶にX線を当てる手法で調べられ、図3のようになっていることが分かりました。これは金原子12個とアンチモンSb原子20個からなる球状の物質で、内部にカリウムイオンが1個存在します。この中心に位置するカリウムイオンのまわりに金とアンチモンが寄ってくることで、このような立体が作られたと考えられると著者らは言っています。この無機フラーレンは−5価の電荷を持つ陰イオンとなっていて、実際に得られた化合物は無機フラーレン以外にカリウムを含む陽イオンが5個存在するいわば塩となっています。この無機フラーレンの外周は32個の原子からなっていますが、大きさとしてはC60と同等(一番長い原子間距離が9Å)となっているとのことです。20個のアンチモン原子は5個ずつ正五角形を形成し、正12面体を形作っています。各五角形の中心に金原子が位置しているという珍しい構造となっています。
図3 Au12Sb20+Kからなる無機フラーレンイオンの構造。色は以下の各原子を表す。黄色(金)、紫(アンチモン)、緑(カリウム)。
この無機フラーレンの性質を、研究者らは理論計算によって調べました。その結果、 金とアンチモンの電子が様々な形式の結合に関わっていることが分かりました。特に芳香族有機化合物のように、一部の電子がフラーレン全体にわたり広がっており、このことがこの無機フラーレンに芳香族分子と同様な安定性を与えているということです。カリウムはほぼ+1の荷電 を持ったイオンとなっています。今回の化合物には金が含まれていて、アンチモンと金の結合ができていることが、このフラーレンの安定性に大きく寄与していることも分かったとのことです。ようやく新しいフラーレン様物質ができましたが、これを機に様々な興味深い構造や性質を持った物質が作られていくかもしれませんね。このような新化合物はチョコレート菓子のようであると研究代表者は言っているそうです[4]。つまりどのような香りなのかは食べてみるまで分からないということ。さらなるヒット作の出現を期待したいものです。それではまた次回。
[1] S. C. Sevov and J. D. Corbett, Science, 1993, 262, 880–883.
[2] S. Kenzler, F. Fetzer, C. Schrenk, N. Pollard, A. R. Frojd, A. Z. Clayborne and A. Schnepf, Angew. Chem. Int. Ed. 2019, 58, 5902–5905.
[3] Y.-H. Xu, W.-J. Tian, A. Muñoz-Castro, G. Frenking and Z.-M. Sun, Science, 2023, 382, 840–843.
[4] Chem. & Eng. News, 2023, Nov. 27, page 6.
坪村太郎
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