六フッ化イオウ(SF6)という物質をご存じでしょうか。無色無臭の気体(-50℃で昇華)で、図1のような構造の分子です。SF4分子が反応しやすい(例えば水とも反応する)のに対して、このSF6分子は500℃にするとようやく分解する位安定な物質です。
図1 六フッ化イオウ(SF6)分子の構造。黄色がイオウ原子、青色がフッ素原子。正八面体構造となっている。
この物質は絶縁体としての能力に優れるため、変電所などで高圧を扱う機器に広く使われています。ところがこの物質の使用が最近非常に問題となってきているのです。この物質は二酸化炭素と同様に地球温暖化の原因になり、しかもこの物質は同質量の二酸化炭素に比べて温室効果が23900倍もある1と言われています。さらに、冒頭にも書きましたように、この物質はきわめて安定で一旦大気中に放出されると長期間分解されずに残るのです。
図2 変電所での高電圧ブレーカー。6フッ化イオウが封入されている。
(Wikipedia 六フッ化硫黄より)
フッ素を含む化合物はその機能性が着目されています。例えばフッ素樹脂としてフライパンなどに使われているほか、フッ素の入った有機物は特に最近医薬品などにも多く利用されています。そこで厄介者の六フッ化イオウを有用なフッ素化合物に転換する研究が近年進められてきました。しかし、この分子はともかく安定であり、言い換えれば他の分子となかなか反応しないためにこの研究はなかなか困難でした。そのような中、本年になって英国の化学者らによって新たな方法が見いだされました2。その方法とは特殊なアルミニウムの化合物を反応させる方法です。
図3に示す化合物Aは2000年に発見された化合物3で、通常アルミニウムは+3価の化合物ですが、1価のアルミニウムを含み、きわめて反応しやすい化合物です。今回SF6とこのアルミニウム化合物Aを反応させると容易にSF6が分解されることが分かりました。
図3 SF6とアルミニウム化合物Aの反応により、化合物Aにフッ素原子が結合したものAF2とイオウ原子が結合したものA2S2が生成する。
なぜこの安定なSF6が反応したのかということについては、量子化学計算による詳しい解析が行われました。その結果図2に示すようにSF6分子からフッ素原子が2個ずつ外れていくというきわめて興味深い反応が起こっていることが推察されました。SF6にアルミニウム化合物Aが反応して2個のフッ素原子がAに移動し、SF4とAF2分子が生成します。こうしてできたSF4に再度Aが反応してSF2ともう1個のAF2分子が生成します。残ったSF2分子に2分子のAが反応して、最終的にさらにもう1個のAF2分子と、A2S2分子が0.5個相当生成するという仕掛けです。
研究者らは、こうして生成した化合物(図3のAF2やA2S2)が、フッ素原子やイオウ原子を含む有機化合物の原料として使えることも示しています。例えばAF2を用いてフッ素を含む化合物(カルボン酸フッ化物)が、またA2S2を用いるとイオウ原子を含む環状有機化合物を得ることができました。このように今回の反応によって、単に厄介者のSF6を分解することができるだけではなく、新たに有用な化合物の合成にも応用することができると著者らは述べています。
図4 SF6とアルミニウム化合物が順に反応して生成物ができる状況を表している。SF6分子に順次アルミニウム化合物Aが反応して、SF6からフッ素がはずれていく。
最近PFASと呼ばれるフッ素化合物が環境に与える悪影響が問題になっていることをお伝えしましたが、その後もPFAS等の問題は国内外で広く取り上げられるようになっています。フッ素を含む化合物の環境に与える悪影響が、きわめて重大な問題と認識されるようになってきました。今回ご紹介した研究が契機となり、これらの問題の解決につながることを期待したいですね。それではまた次回お会いしましょう。
1)時枝隆之;石井雅夫;斉藤秀;緑川貴、気象研究所技術報告51号、2007。https://www.mri-jma.go.jp/Publish/Technical/DATA/VOL_51/tec_rep_mri_51_1.pdf
2)D. J. Sheldon and M. R. Crimmin, Chem. Commun., 2021, 57, 7096–7099.
3)C. Cui, H. W. Roesky, H.-G. Schmidt, M. Noltemeyer, H. Hao and F. Cimpoesu, Angew. Chem. Int. Ed., 2000, 39, 4274–4276.
坪村太郎
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