2021年 ノーベル化学賞 有機触媒の発見と展開

本年2021年のノーベル化学賞は、ドイツのBenjamin List氏と米国のDavid W. C. MacMillan氏に授与されました。お二人は「有機触媒」の開拓という業績が認められ、受賞されることになりました(なお2020年のノーベル化学賞の記事はこちら)。今回はノーベル財団の発表している文章1からお二人の業績をご紹介いたします。
さて触媒とはどのようなものかご存じですね。触媒は、化学反応の速度を変化させる(通常は速くするもの)が、自身は化学反応の前後で変化することがない物質をさします。例えば高校の化学でも習う、硫酸合成の際の五酸化バナジウムや、ポリエチレンの製造の際に用いられている、いわゆる「チーグラー・ナッタ触媒」がそれにあたります(例1,2参照)。

この二つの例に代表されるように、触媒として用いられてきたのは金属か金属を含む化合物でした。これらは、環境に悪影響を及ぼす物質であることが多いとされています。
自然界では酵素が触媒の働きをしていますね。我々の体の中でも多くの酵素が働いています。酵素はタンパク質であり、アミノ酸が数多くつながってできたものです。例えば消化酵素のトリプシンはアミノ酸が448個つながって分子量が24220もある極めて複雑な構造の物質です(図12)。

図1 消化酵素トリプシンの構造2。(わずかに実際の酵素を変化させた結晶の構造を示した。)

 酵素はこのような複雑な構造ですが、生物が必要とする物質を効率よく作ることができます。特に、生体内には鏡に映すと自身とは異なる構造になる、光学活性と呼ばれる性質を持つ分子がたくさんありますが(例えばアミノ酸にはL-アミノ酸とD-アミノ酸があり、天然のアミノ酸は調味料のL-グルタミン酸ナトリウムで知られているようにL型であることは聞いたことがあるでしょう)、酵素はこれらD型とL型のうちの望みの型を作ることもできる優れものなのです。なお、金属の入った触媒でもこのような機能を持っているものはあります。例えば図2に示したルテニウムという金属を含む化合物は日本の野依良治先生達のグループが開発して2001年にノーベル賞受賞のきっかけとなったものです。このような触媒はしばしば酸素や水が存在すると不安定で壊れやすいという欠点を持っています。

図2 光学活性な物質を作ることができるルテニウム化合物の例。

 今回ノーベル賞を受賞されたList氏は、酵素の機能はあのような複雑な構造でなくてもアミノ酸自身が持っているのではないかと考えたそうです。試しに以前そのような機能が一度報告されたプロリンというアミノ酸を使って図3に示す化学反応を行ってみると、効率よく、しかも光学活性の分子を作ることができました3

図3 光学活性な物質(*で示した炭素が光学活性の起源となっている)の合成に、プロリン(青枠内)を添加すると反応が効率よく進むことをList氏らは見いだした。

ちょうど同じ頃、MacMillan氏も同様なアイデア、つまり簡単な有機物の分子が触媒になるのではないかということについて検討していました。そして、図4に示すように、ある種の有機分子が有機物同士の反応(ディールズ・アルダー反応として知られる種類の反応)を効率よく進め、この場合も光学活性な分子を作ることができることを見つけたのです4

図4 二重結合を持った物質同士の反応では、青で示した有機化合物が触媒として働き、光学活性な物質(*で示した炭素が光学活性の起源となっている)ができることをMacMillan氏らは見いだした。

両研究者の発表は、世界中に驚きを持って迎えられました。こんな簡単な構造の有機化合物が触媒になるなんて誰も思わなかったのです。そしてこれらは環境中に悪影響を及ぼしにくいという点でも優れています。その後この20年間で非常に多くの研究者によって有機触媒の研究がなされました。例えばストリキニーネという物質を聞いたことがあるでしょうか。これはある種の樹木からとれる毒物で、欧米の推理小説に出てくる化合物です。図5に示すように炭素数はそれほど多くありませんが、立体構造が複雑で極めて合成が難しい化合物です。人工的には1952年に初めて合成されましたが、そのときは原料の化合物から29ステップの段階を必要とし、原料からの収率はわずか0.0009%でありました。それが2011年には鍵となる化合物を有機触媒を用いて合成する方法が開発され、12ステップで市販の化合物から6%の収率でできるようになりました5。7000倍も高効率で作れるようになったのです。

図5 ストリキニーネの構造

 試してみればできることなのに、誰も長い間気づかなかったという研究テーマが今回のノーベル賞につながりました。そして幅広い応用分野が開けています。とても面白くすばらしいことだと思います。皆さんいかが思われますか。それではまた次回お会いしましょう。

 

1)https://www.nobelprize.org/prizes/chemistry/2021/press-release/ このページに一般向け記事(https://www.nobelprize.org/uploads/2021/10/popular-chemistryprize2021.pdf) と、専門家向け記事(https://www.nobelprize.org/uploads/2021/10/advanced-chemistryprize2021-3.pdf)の2つの英語の文章が載っています。
2)C. Gaboriaud, L. Serre, O. Guy-Crotte, E. Forest, J. C. Fontecilla-Camps, J. Mol. Biol. 259 995-1010 (1996).
3)B. List, R. A. Lerner and C. F. Barbas, J. Am. Chem. Soc., 122, 2395–2396 (2000).
4)K. A. Ahrendt, C. J. Borths and D. W. C. MacMillan, J. Am. Chem. Soc., 122, 4243–4244 (2000).
5)S. B. Jones, B. Simmons, A. Mastracchio and D. W. C. MacMillan, Nature, 475, 183–188 (2011).

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坪村太郎

成蹊大学理工学部で無機化学の教育、研究に携わっていました。 低山歩きが趣味ですが、最近あまり行けないのが残念です。