炭素(C)-かつて銀幕を照らした映写機の光源

 ダイヤモンドの燃焼を見たことがありますか? ダイヤモンドを酸素気流中で加熱するとやがて燃焼を始め,米粒大程度でも目映まばゆいばかりの光を発します。炭素はまた,アーク放電でも白熱して強い光を発します。かつて映写機には炭素電極を用いたアーク放電が用いられ,その光は銀幕を彩りました。

映画の発明と普及

映写技術は,記録媒体としての写真が登場してから改良が積み重ねられ,アメリカの発明家T.エジソンは「キネトスコープ」という映写機の一種を1891年に創案しました。キネトスコープは,長尺のフィルムに下から電球光を当て,フィルムを送りながら上から拡大鏡でのぞいて見る装置でした。
次いで1895年,フランスのA.リュミエールとL.リュミエールの兄弟が撮影と映写の機能を兼ね備えた複合映写機「シネマトグラフ」を発明しました。これは今の映画とほぼ同じ機構で,キネトスコープでは一人しか見られなかった映像が大勢の人で同時に見られるものでした。

映画は世界各地で人々を熱狂させました。1910年代にアメリカでは映画都市ハリウッドができ,次いでイタリア・ベニス(1932年),フランス・カンヌ(1946年),ドイツ・ベルリン(1951年)の三大国際映画祭(カッコ内は創設年)が開催されるようになりました。

 

アーク放電と映写機

1988年に公開されたイタリア映画『ニュー・シネマ・パラダイス』(G.トルナトーレ監督)は,中年を迎えた主人公が回想する少年時代から物語が始まります。舞台は第二次大戦中のシチリア島の僻村にある映画館。それは村の広場にあって教会と兼ねており,村で唯一の娯楽施設でした。村の人々にとって映画は社会に開いた窓で,世界各地のできごとを知る手段でもありました。映画に魅せられた一人の少年はそんな映画館に出入りし,やがて映写技師に映写機の操作を教わるようになります。

さて我々は,物体の位置を瞬間的に示され,短い時間間隔の後にそこからやや離れた位置に示されると,その物体が初めの位置から動いたように感じます。これは「仮現かげん運動」または「キネマ性運動」と呼ばれます。フィルムの標準的な速度は,35㍉映画で毎秒24こまですが,この齣数が多いほどリアルな映像になります。

映写機はフィルムに記録された連続する静止画を動画として見せる装置です。広い映写室では映写機からスクリーンまでの距離が長く,強い光源が不可欠です。その光源は,かつては炭素電極を用いたアーク放電によるものでした。その概略を見てみましょう。
フィルムは,送出側リールからレンズを通って巻き取りリールに送られます。かつて映画フィルムの基材はニトロセルロース製で燃えやすかったので,取り扱いや保管には細心の注意が必要でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

映写機(手前にレンズ,後方に緑色の排気筒が見える)

 

光源部(次の写真)は黒色の小窓が付いた蓋の内部にあり,そこでアーク放電が起こされます。凹面鏡反射板(左方)の焦点の位置に,向き合った二本の炭素棒(陽極と陰極)の接触部が来るようにします。放電により炭素棒は消耗するので,発光を維持するために電極間の距離を外部のつまみによって調整します。電圧の安定化のために整流器が付属していました。光源部では大量の熱が発生するので,排熱と排気を兼ねた煙突が付けられ,フィルムは引火しないようにリールごと丸い缶状の金属製容器に入れられます。

 

 

 

 

 

 

映写機の光源部

 

アーク放電の原理と用途

放電は,電位差で電極間にある気体に電子が放出されて電流が流れる現象で,雷のような火花放電,高電圧送電線で起きるコロナ放電,グローランプやネオンサインのグロー放電,そしてアーク放電(電弧放電)などに大別されます。

アーク放電は,1802年にロシアの実験物理学者V.ペトロフによって発見されました。彼は,大型のボルタ電堆でんたいを使っていてこの現象を発見し,翌年の論文には,それが光源としてや金属の融解・熔接に使うことができることを記しています。
アーク放電は,電極の加熱で熱電子が放出される「熱陰極アーク」と,電極表面の電界で電子が放出される「電界アーク」(冷陰極アーク)に分けられ,陰極が炭素やタングステンなど高沸点材料の場合は前者,鉄や銅など低沸点材料の場合は後者とされます。

炭素電極によるアーク放電は,2本の高純度炭素棒の尖端をわずかに離し,電極間に電圧をかけると起きます。このとき炭素は両極の間隙で気化し,約3000℃で白熱して燃焼します。放射される強烈な光は,太陽光に近い高エネルギーの連続スペクトルの光です。管球式とは異なり直接燃焼するのでさえぎるものが無く効率が良い一方で,消耗が早いことが短所です。現在は医療用途に使われ,目的に応じて任意のスペクトルの照射量を増やすために,炭素に微量の金属元素が添加されます。

映写機用のアークカーボンは,長さ約30㎝,太さ1㎝弱の棒で,1本の寿命は約20分間でした。当時,フィルム一巻き分の映写時間は40分が多く,映写室では2台の映写機を使って映像が途切れないように操作しました。

 
映写機用の炭素電極(左)とキセノンランプ(右)

現在では,映写機の光源はキセノンランプや超高圧水銀ランプに代わっており,これらはキセノンや水銀蒸気を封入した電球内で電極間にアーク放電を起こさせるものです。カーボンアークランプは映写機のほかにも投光機・光学機器・写真製版などに使用されましたが,煙や音が発生することが難点でした。キセノンランプではそうした問題がなく,キセノンランプも高輝度で自然昼光により近い可視域の波長の光を出すことができます。(キセノンについてはココをクリック)

C.チャップリンのアメリカで最後の長編映画『ライムライト』(1952年)は,老年の道化役者が自信を失った若いバレリーナを勇気付け成功へと導く物語です。ライムライトとは,石灰棒に酸水素炎(水素と酸素の高圧混気の炎)を吹き付けて白熱させるもので,1825年に発明され,考案者(スコットランドの技師T.ドラモンド)の名前から「ドラモンド光」とも呼ばれます。ライムライトはスポットライトとして使われ始め,1860年代には舞台照明として一般的になりました。そこから派生してライムライト(limelight)には名声・評判の意味があります。
「宇宙にある力が地球を動かし木を育てる。君にも同じ力がある。その力を使う勇気と意思をもて!」-落ちぶれた往年の道化師がバレリーナに向き合う気持ちは,やがて自身を奮い立たせるのでした。

 

参考文献
「エジソン 20世紀を発明した男」N.ボールドウィン著,椿 正晴訳(三田出版会,1997年)
写真は,羽島市歴史民俗資料館・映画資料館の所蔵品を平成31年4月に筆者が撮影したものです。なお同館では,展示について懇切にご説明をいただきました。ここに御礼申しあげます。

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園部利彦

2017年まで岐阜県の高校教諭(化学)。2019年に名古屋工業大学「科学史」,2020年に名古屋経済大学「生活の中の科学」,2022年,2023年に愛知県立大学「教養のための科学」を担当。趣味は鉱山の旅とフランス語。