はじめに
タリウム(Tl)は原子番号81、第13属の金属元素です。銅、鉛、亜鉛などを硫化物鉱から精錬する際に生成する尾鉱、残渣、抽出液、煙灰などから副産物として回収されます。金属タリウムは各種の合金の原料となり、タリウム化合物の硝酸タリウムあるいはフッ化タリウムが高屈折光学ガラス、酸化タリウム(III)は光学ガラス原料、硝酸タリウム(I)は特殊分析、マロン酸タリウム(I)は試薬として使われています1)。
25種類の同位体があり、原子量の範囲は184から210です。203Tlと205Tlは安定同位体であり、水溶液中では安定な1価イオン(Tl+)をもち、水と反応して、TlOHとなります。Tlの放射性同位元素は医薬品としても使われています。一方、Tlには毒性があり、硫酸タリウムは過去に殺鼠剤として使われました。タリウム化合物は無味、無臭、食物に容易に混入できるため、ヒ素と並んで、殺人薬として世界的に有名です2)。
医薬品として
タリウムは過去に淋病、梅毒、結核の治療薬として用いられていました。また、少量服用すると毛髪のケラチン生成が阻害されて2~3 週間で脱毛を起こします。そのため、脱毛剤としても使用されるようになり、頭部白癬菌症の治療薬として繁用されてきました。薬用量と中毒量の差が小さく、数々の中毒を生じたことから次第に治療薬として使用されなくなりました3)。
201TIは放射性同位元素で、物理的半減期72.91時間です。Tl+は生体内ではK+と同様の挙動を示し、容易にK+と置換します4)。そのことを利用して、シンチグラフィに使われています。シンチグラフィ(scintigraphy)は、放射性同位元素(ラジオアイソトープ)で標識された薬剤を体内に投与後、放出される放射線(ガンマ線)を画像化することによって薬剤の分布を調べる検査です。
放射性同位元素は静脈注射で投与され、一定時間後に30分程度、専用のカメラで撮影します。薬剤の種類によってどの臓器に分布し、どの様な機能を反映するかが決まります。例えば、67Ga-citrate は悪性腫瘍に集まります(Gaシンチ)。99mTc-MDPは骨代謝が盛んな部位に集まる性質を持っているため、悪性腫瘍の骨転移の検索に用いられます(骨シンチ)。201TIClは心筋シンチとして使われます。
静脈注射後、そのときの血流に比例して血管外に移動し、心筋細胞内に取り込まれます。つまり、そのときの心筋の血流分布を反映し、虚血等の傷害された心筋には取り込まれないことから、心筋梗塞などの虚血性心疾患の診断に使われてきました。放射性同位元素を血管内に入れることから、その安全性が気になりますが、通常、2ppmの溶液を1mL使用するので、LD50(半数死亡量)の37万分の1以下の使用量となり、安全性が確立していると言えます。
毒物として
硫酸タリウムは消化管、中枢神経系及び末梢神経系に影響を与え、脱毛を生じます。大量に摂取すると心血管系、腎臓及び肝臓に影響を与え、死に至ることもあります。経口摂取すると腹痛や吐き気、嘔吐、下痢、頭痛、脱力感、痙攣、筋肉痛、麻痺、せん妄、意識喪失を生じます5)。昭和51年(1976年)に沖縄県のある地域で、3歳から5歳児の6人が脳炎症状を呈し、うち5歳男児が死亡しました。当初は原因不明で、感染症も疑われましたが、6人の尿からTlが検出され、急性Tl中毒と判明しました。その後の疫学調査から、患児の自宅近くの鶏舎周辺に置かれていた殺鼠の目的で使用された硫酸タリウムをしみ込ませた食パンを誤食したことが判明しました。
平成3年(1991年)、ある大学の動物実験施設で技術職員がしびれや痛みなどの神経症状で入院し、3か月後に死亡しました。生前に「毒を飲まされたようだ」と言っていたことから、警察に通報され、司法解剖が行われました。その結果、臓器や毛髪、爪からTlが検出されました。犯人は職場の同僚で、Tlは研究のために使われる試薬でした。
また、平成26年(2014年)に高齢女性が殺害され、被疑者として女子大学生が逮捕されました。捜査の結果、2年前の高校生の時、同級生2人に硫酸タリウムを飲ませていたことも明らかとなりました。その時の被害者は腹痛、脱毛、歩行障害で入院し、退院できたものの視力障害の後遺症が残りました。平成29年(2017年)に始まった裁判では、検察が5月28日と7月19日の計2回、被害者が席を離れた際、置いていったペットボトルの飲み物に硫酸タリウムを混入したと指摘、弁護側は「中毒症状の観察が目的だった」と主張しました。地裁の判決は刑事責任能力を認め、無期懲役でした。令和元年(2019年)10月の上告棄却により、判決が確定しました。
終わりに
硫酸タリウムの農薬登録(殺鼠剤)は、平成27年12月14日に失効し、現在では殺鼠剤として使われこともなく、誤用による中毒はほとんどなくなりました。しかし、Tl化合物は試薬としては入手可能なので、殺人の手段として、使われることはあります。臨床症状からTl中毒を疑うことが死因究明の第一歩と言えるでしょう。
参考文献:
1.化学物質の環境リスク評価 第15巻. [10] タリウム及びその化合物. https://www.env.go.jp/chemi/report/h29-01/pdf/chpt1/1-2-2-10.pdf.
2.Anthony T Tu. 化学兵器. 中毒学概論 –毒の科学-. P.131-173.じほう、1999.
3.吉田朝啓, 照屋寛善, 大山峰吉, 金城喜栄 (1976): タリウム中毒事例の疫学調査. 沖縄県公害衛生研究所報. 10: 25-33.
4.Gehling PJ,et al. The interrelationship between thallium and potassium in animals. J Pharm Exp Therap 155:187-201,1967.
5.IIPCS (2013): International Chemical Safety Cards. 0336. Thallium sulfate.
上村 公一
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