死後硬直とカルシウム

はじめに

法医学の実務において、死亡時刻を推定することは重要です。死亡届に記載された死亡時刻そのまま戸籍にも転記されます。また、犯罪や事故死の場合、死亡時刻の特定は犯人の絞り込みや事故状況の解明のために必要です。死後経過時間の推定によく使われる死後硬直の発現にカルシウム(Ca)が関与しています。

死体現象1)

死後に初めて起こる現象を死体現象といいます。死体現象は確実に死亡していることを示す死の「確徴」です。死体現象には早期死体現象と晩期死体現象があります。前者は体温の低下、死斑の発現、死後硬直、などがあり、死亡直後から2日程度の間に現れます。後者は前者に引き続いて起こり、死体の分解(自家融解、腐敗)で、数日から数年にわたり続きます。

死後硬直

死亡直後、いったん全身の筋肉は弛緩します。しかし、時間の経過とともに筋肉は収縮が起こり、他人が関節を動かそうとしても抵抗が感じられるようになり、ついに姿勢が固定されます。これを死後硬直と言います。一般に死後硬直は上の関節から下の関節に順次起こります、つまり、最初に死後2〜3時間で、顎に発現し、以降、頸、肩、上肢、下肢、手指、足指の順に発現します。約6〜8時間で全身の関節は硬直します。約12時間で硬直は最高潮になり24時間ぐらいまで持続します。体格のよい男性の死体では、他者が硬直した関節を動かすことが不可能になります。死後30〜36時間で発現した順番で緩解を始めます。

筋肉の収縮とCa

生体では骨格筋の筋肉を収縮させる場合、脳や脊髄から指令が出ます。指令は運動神経によって神経筋接合部(運動神経と筋の接合部)に伝達されます。神経終末のシナプス小胞に蓄えられているアセチルコリンという化学伝達物質が放出されると、筋肉の筋細胞膜(筋鞘)のアセチルコリン受容体に結合し、活動電位が生じ、筋細胞膜が興奮した状態になります。

筋線維の中に管状に入り込んでいる横行小管(T管)を通じて細胞内に伝わり、T管の両側に網目状に筋原線維を取り囲む筋小胞体が接触しており、興奮はこの筋小胞体にも伝わります。筋小胞体の受容体が開き、蓄えられていたCa2+が放出されます。Ca2+の放出によって細胞内のCa2+濃度が上昇すると、それが引き金になり、筋肉の収縮が始まります。

筋肉はアクチンフィラメント、ミオシンフィラメントという2種類の筋線維で構成されています。詳細な機構は省略しますが、次の様な滑走説(滑り説)で筋肉の収縮メカニズムが説明されています。アクチンフィラメント上のトロポニンにCa2+が結合し、アクチンフィラメントがミオシンフィラメントの間に滑り込むような形になり、2つのフィラメントの重なりが深くなり、全体として筋肉が短縮します。

また、縮んだ筋肉が弛緩する場合、Ca2+の結合がはずれ、さらに、2種類のフィラメントの重なりも少なくなり、もとの長さに戻ることになります。これらの筋肉の収縮や弛緩の際に、Ca2+ 以外にエネルギー(ATP:アデノシン三リン酸)を消費します。

死後硬直のメカニズム2)

死後硬直のメカニズムはいくつかの説がありますが、生体での筋収縮とほぼ同様に、それが不可逆的に進行したと考えられています。死後ATPはその供給が止まるため、時間とともに減少して枯渇します。一方、細胞内のCa2+は厳密に管理され、通常は筋小胞体に収納されています。このときATPを消費します。

死後、ATP供給が止まると、①筋小胞体へCa2+が収納できず、細胞内Ca2+が増加、筋繊維の収縮が起こる。②死後はATPの供給がなく、収縮した筋肉のトロポニンからCa2+が外れないため、アクチンとミオシンの結合も外れなくなり、筋肉が弛緩せず、収縮したままになる。この2つの理由で死後硬直が発現すると考えられています。死後硬直の緩解は生体と違い、腐敗によって、アクチンとミオシンの構造が壊れることにより起こります。

おわりに

Caは人体で5番目に多い元素で、体を構成する骨の主成分です。また、生体内の情報伝達や筋肉の収縮や弛緩など、生体としての機能の維持にも関与しています。法医学においても、代表的な死体現象のひとつの死後硬直の発現にCa2+がかかわっています。

 

※ ”アクチンとミオシンの結合も外れなくなり”を追記(2020年1月30日)

 

文献:
1. 若杉長英. 早期死体現象.永野耐造, 若杉長英編.現代の法医学 第3版増補.pp. 25-30. 金原出版. 東京. 1998.
2. 池田典昭.死体硬直. 早期死体現象. 石津日出雄, 高津光洋監修. 標準法医学 第7版. pp.26-27. 医学書院. 東京. 2013.

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上村 公一

東京医科歯科大学名誉教授、もと高校教諭(理科・化学)。専門は法医学、中毒学。テレビドラマや小説の法医学監修をしてきた。

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