マグネシウムの工業的な生産開始はアルミニウムと同時期でしたが、カルシウムとの分離が難しく、普及が遅れました。しかし、第一次大戦での軍事利用を中心に伸び、五輪聖火トーチの燃焼剤にも使われました。ジュラルミンなどの軽合金用材料としても重要で、化合物も様々な用途に使われています。 |
牛が嫌った苦い水
17世紀初めのある夏、イングランド南部のエプソムで一人の牛追いが湧水を見付け、牛を連れて行きました。ところが牛たちは、喉が渇いているのにその水に口を付けません。牛追いは、その水を舐めてみて理由が判りました。苦かったのです。
その水に傷の治療や強壮の効能が見付かると、エプソムは温泉地として知られるようになり、同地の塩は「エプソム塩」として売られるようになりました。
エプソム塩の需要が増えると天然物では不足するようになり、合成が試みられました。ドイツの薬剤師C.ノイマンは、製塩後の海水残液から同様の物質が得られることを知りました。
これより少し前、ドイツの医化学者J.グラウバーは,硫酸ナトリウム(Na2SO4)の性質を調べ、医療への応用も示しました。硫酸ナトリウムは「グラウバー塩」と呼ばれて人々に知られていましたので、グラウバー塩がエプソム塩として売られることもありました。これに対してノイマンは、エプソム塩は硫酸マグネシウム(MgSO4)であってグラウバー塩とは別物であることを明らかにしたのです。
マグネシウム・マンガン・磁石の語源は同郷
1808年、イギリスのH.デーヴィーは酸化マグネシウム(MgO)の電気分解で少量の金属を単離し、その弟子のM.ファラデーが行った塩化マグネシウム(MgCl2)の融解塩電解がマグネシウムの工業的製法の端緒となりました。
この元素の名称についてデーヴィーは、マンガン(manganese)との混同を避けてマグニウム(magnium)としましたが,その後マグネシウム(magnesium)に変わりました。(ロシア語のмагнийはマグニウムの名残です)
ギリシャ中部、テッサリア地方のマグニシア(Magnisía)からは様々な鉱物が産出し、マンガンも磁石(magnet)も語源は同じとされます。マグネシア・アルバ(白いマグネシア,菱苦土鉱)、マグネシア・ニグラ(黒いマグネシア,軟マンガン鉱)、マグネース・ラピス(マグニシアの石,磁鉄鉱)は同じ地名に由来するのです。
ところで、磁鉄鉱(magnetite)は、古代ギリシャの遊牧民が鉄の杖先や靴の鋲に吸い付く石を野で発見したことが始まりとされます。慈母,慈父,慈愛,慈悲,慈善,慈雨…これらの語に含まれる「慈」には「いつくしむ,かわいがる」の意味があります。古く中国では磁石を「慈石」と書いたそうです。赤ちゃんが母親の元に慕い寄る姿からの連想でしょうか。
ジュラルミンを発見したドイツの金属学者
ここからはジュラルミンについてです。
アルミニウムの生産が工業化されると、ドイツの金属学者A.ヴィルムは、1903年頃から、アルミニウムに金属を添加して焼入れをすれば鉄鋼のように硬くなるのではないかと考えて研究を始めました。
1906年9月のある土曜日、彼は銅4%,マグネシウム0.5%を加えて得た合金を焼入れして硬さを測定しました。週末は休んで月曜日に測定を再開したところ、硬さが著しく増していたのです。金属材料の硬化が焼入れ後に室温において進む「時効(エージング)」という現象の発見でした。
ドイツの作家K.シェンチンガーの著書『小説金属・下巻』の第二部〈マグネシウム〉に記されたヴィルムの助手ヤブロンスキイの言葉からは、実験の状況と新発見に至る苦労が分かります。
-「私はもう2年間も実験のお手伝いをしてますがね、ヴィルム先生。薄板を520度に加熱して、急冷させたり、徐々に冷却させたことは、もう何百遍になるか知れはしません。どの薄板にしろ、必ず後で検査してみました。4,5日放っておいてからやっと検査したことも珍しくはありません。でも、薄板が後になってから始めの試料より硬くなったことなどは、ただの一度もありませんよ。」
ヴィルムは、アルミニウム3.5~5.5%に銅と1%以下のマグネシウムとマンガンを含む合金の特許を取得しました。ヴィルムは武器用の真鍮に代わるアルミニウム合金の開発を目的としたので、1911年まで時効硬化を論文発表しなかったため、彼の特許は無視されました。
ヴィルムは特許権保護について係争しましたが敗れ、失意のうちに引退して農業に従事しながら余生を送りました。しかし彼が開発した合金は「ジュラルミン」という名で市場に出たのです。
ジュラルミンケース
ジュラルミンの更なる進化
アルミニウム合金の高強度化は航空機用構造体への使用を視野に入れて研究されました。日本では1916(大正5)年、ロンドン駐在の海軍監督官が飛行船ツェッペリンの骨格材の一部を入手しました。第一次大戦でドイツは骨格材にジュラルミンを使って飛行船を量産し、英仏への爆弾投下に使いましたが、故障や被弾などによって墜落した機体のジュラルミン材が敵手に渡ったのです。
早速、住友伸銅所で調査・分析が行われ、航空機用アルミニウム合金の開発が本格化しました。その分析結果などをもとに試作が行われ、1921(大正10)年には工業的生産が開始されて「軽銀」と名付けられました。1922(大正11)年には早くも国産飛行機の構造体に使用され、1930(昭和5)年以降、飛行機の機体が全て金属で製作されるようになると、ジュラルミンは本格的に用いられました。
ジュラルミンには更に高い強度が求められるようになり、「超ジュラルミン」(SD)の開発が進みました。
住友では、1935(昭和10)年以降、五十嵐 勇が中心になって開発し、最終的には亜鉛,マグネシウム,銅,マンガン,クロムを添加したSDを凌ぐ強靱な合金を得ました。この合金は、ベースとなった三種類の合金(E合金,S合金,D合金)の名称と兼ねて「超々ジュラルミン」(ESD,Extra Super Duralumin)と命名されました。ESDは「鍛錬用強力軽合金」として出願され、1940(昭和15)年に特許(第135036号)が取得されました。
旧陸軍・三式戦闘機キ61「飛燕」
機体は超ジュラルミン(SD)製(岐阜かかみがはら航空博物館,平成30年12月撮影)
参考文献:
「小説金屬(下)輕金屬篇」K.A.シェンチンガア著,藤田五郎訳(天然社,1943年)
「化学大辞典」(共立出版,1989年)
「元素発見の歴史2」M.ウィークス,H.レスター著,大沼正則監訳(朝倉書店,1990年)
「元素の名前辞典」江頭和宏著(九州大学出版会,2017年)
「ジュラルミン開発関連資料」(UACJ Technical Reports),吉田英雄著(UACJ技術開発研究所,2014~2017年)
園部利彦
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