“ヨウ素”といえば・・・うがい薬!
今回は、人の体にある元素を取り上げようと思います。といっても、話題にするのは、炭素や水素、酸素、窒素といった、主要な元素ではありません。人の体には、ほんのちょっとでいいけれど、絶対になくては困る必須微量元素があります。その一つが原子番号53の「ヨウ素(I)」です。
本題に入る前に、ヨウ素が身近なところでどのように使われているか少し見てみましょう。日常的に使うものとしては、うがい薬でしょうか。「ヨウ素が入っている褐色の液体を、水に薄めてうがいをする」。子供心に“風邪菌をやっつけてくれそう”と思ったものです。
うがい薬の成分は、ポビドンヨード(図1)というヨウ素を含む物質です。殺菌力があって、しかも即効性があるので、手術の際の傷口の消毒や医師の手洗いにも使われています。
図1:ポビドンヨードの構造式
ヨウ素(薄紫の珠)を、キャリアであるポビドンに結合させた水溶性の複合体。構造式を見て、細菌やウイルスは、ヨウ素の電荷でビリビリするのかしら?などと想像してしまう。
消毒剤として如何に優れているかは、1969年にアポロ11号が月面着陸を成し遂げて地球に戻ってきた際に、未知の地球外細菌が船体についていてはいけないと、ポビドンヨードで消毒したという秘話があることからもわかります。毎日のうがいに対する思い入れが変わりそうです。
では、ヨウ素はどのようにして殺菌力を発揮するのでしょうか。ヨウ素(I)と水(H2O)が反応してできるH2OI+が細菌やウイルスの表面の膜のタンパク質に働くからだと考えられていますが、残念ながら、実際のところはわかっていません。
“ヨウ素”といえば・・・科学技術を支える!
さまざまな科学技術においても、ヨウ素は欠かせない元素です。一例として、テレビや携帯電話の画面に使われている液晶ディスプレイが挙げられます。
液晶ディスプレイの上下面には、光の出入りを制御する偏光フィルムが貼られています。偏光フィルムといえば、2枚重ねて一方を90度ずつ回転させると、光が通ったり通らなかったりするので、子供の頃に遊んだのを思い出します(図2)。この光の通らない部分が、ヨウ素でできている偏光フィルムがあります。
図2:偏光フィルムの模式図
黒い線が、光が通らない方向を示している。光が通らない部分の原子の様子を観察すると、左のようにフィルムの素材であるポリビニルアルコールに、ポリヨウ化物であるI3-(薄紫の珠が3つ連なっている)やI5-(薄紫の珠が5つ連なっている)が閉じ込められているのがわかる。
“ヨウ素”といえば・・・雨を降らせる!
ヨウ素の化合物は、人工的に雨を降らせることもできます。雨を降らせるためには、雲の中で雨の元となる氷の結晶が必要になります。ヨウ化銀(Agl)の結晶は氷の結晶構造とよく似た形をしているので、過冷却雲の中ではヨウ化銀を核とした氷晶をつくらせることができます。
日本では、東京都奥多摩町と山梨県甲州市に人工降雨装置があります。ヨウ化銀とアセトンを混ぜて燃やし、その煙を噴射して、上空の雨雲に氷の結晶の核になる物質を送り込みます。降雨量を5%増やせるといわれていますが、装置を稼働させるタイミングが難しいなどの問題があって、広く使われるようになっていません。
何だかここまでで来ると、ヨウ素はいろいろな顔をもっていて、いったいどんな元素なのかわからなくなってきてしまいました。ヨウ素の単体(I2)は、常温で黒っぽい紫色をした固体です。固体から昇華によって、液体を経由せずに紫色の気体になります。
実験:ヨウ素の昇華 (山田暢司 様 提供) 動画時間:1分42秒
周期表を見ると、フッ素や塩素、臭素と仲間のハロゲン元素です。仲間たちと同様に、ヨウ素もとても反応しやすい元素です。その結果として、いろいろな性質のヨウ素化合物があって、さまざまに活用されているのです。
人間の体の必須微量元素
こんなヨウ素を人の体も利用しています。「必須微量元素」と呼ばれているということは、絶対に必要ではありますが、量は少なくていいのです。
必要なヨウ素は食べ物から摂ります。多くの人が「ヨウ素は昆布に多く含まれている」ことを知っているでしょう(写真1)。海に囲まれた日本に住む私たちは、昆布をはじめとした海藻類や魚介類をよく食べているので、“好き嫌いがあって特に食べない”ということがなければ、自然とヨウ素は足りています。
写真1:群生する昆布。昆布などの海藻は、海水に含まれるヨウ素をとり込んで濃縮する。最近になって、海藻のヨウ素は、有害な活性酸素を無毒化する抗酸化剤として機能しているらしいことがわかってきた。
一方で、世界の多くの国でヨウ素の欠乏による疾患が問題になっていています。その解決策とし、てヨウ素を混ぜた食塩が売られているそうです。ただ、北海道の一部の海岸地域の人たちは、逆にヨウ素の摂り過ぎが原因で、甲状腺の機能が低下してしまっているそうですから、摂り過ぎにも注意しなくてはなりません。
ヨウ素は甲状腺ホルモンの材料
では、ヨウ素は人の体でどのような役割を果たしているのでしょうか。いろいろな化合物をつくるヨウ素なら、いろいろな役割を担っていそうです。ところが予想に反して「甲状腺ホルモンの材料」という一言に尽きます。
甲状腺は首の前側、のどぼとけのすぐ下にあります(図3)。縦4cm、厚さ1cm、重さ15gくらいの蝶が羽を広げたような形をした器官で、気管を包み込むように位置しています。甲状腺から分泌されるのは、トリヨードチロニンとその前駆体のチロキシンの2つのホルモンで、どちらもヨウ素を含んでいます。
図3:甲状腺(赤で示した)
約15 mgと、人体には微量しか存在しないヨウ素ですが、その70%~80%が甲状腺に存在しています。というのも、ヨウ素が甲状腺から分泌されるホルモンの材料としてしか使われていないからです。
たった2つの甲状腺ホルモンだと、侮ってはいけません。特に前駆体のチロキシンは、血液に乗って、働くべき臓器まで流れていきます。そこで細胞に取り込まれ、脱ヨウ素酵素の働きを受けてヨウ素が取れると、トリヨードチロニンになり体の働きを調節するホルモン としての機能を発揮します。
図4:甲状腺ホルモン
チロキシン(T4:左)とトリヨードチロニン(T3:右)。H:水素、O:酸素、N:窒素、I:ヨウ素。2つの違いは、赤丸で囲ったヨウ素。ホルモンとしては働かない「前駆ホルモン」に、ヨウ素を外す脱ヨウ素酵素が働くと、「活性型ホルモン」になりホルモンとしての機能を発揮する。
「甲状腺ホルモンと結びつく受容体は、すべての細胞にある」といわれていますから、甲状腺ホルモンが働く場所は全身に及ぶのです。その機能は、「遺伝子発現の制御をすること」です。こうして生殖、成長、発達といった生物として重要なプロセスを制御しています。特に胎児では、脳や骨格などの発達と成長に関わっています。
それにしても、どうして甲状腺ホルモンが全身の制御を行っているのでしょうか。人間は60兆個の細胞でできているといわれます。これらがバラバラに振舞ったら、体はおかしなことになってしまいます。そうならないために、細胞同士が情報を伝達し合う仕組みの一つとして、“ホルモン”が発達しました。
そして、この重要な甲状腺ホルモンに、ほかでは使われないヨウ素という元素が採用されたのはどうしてなのでしょうか。いろいろ調べてもその答えを得ることはできませんでした。でも、きっと隠れた“理由”があるに違いありません。ヨウ素という元素の底知れない力を感じました。
【参考資料】
『甲状腺ホルモンと関連疾患』メディカルレビュー社、2017年
『トコトンやさしい ヨウ素の本』日刊工業新聞社、2015年
『ヨウ素とは』(ヨウ素学会、2018年7月現在):http://fiu-iodine.org/studies/
『ヨウ素とは』『ヨウ素の効果とは』ほか(ヘルスケア大学、2018年7月現在):https://www.skincare-univ.com/article/017341/
『甲状腺の病気』(harecoco net):http://harecoco.net/thyroid/
『内柱/甲状腺関連遺伝子群を用いた分子進化発生学的解析』(千葉大学 小笠原研究室HP)
池田亜希子
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